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また椋鳥の雛の声!?

先程に・・・

 元気な椋鳥の雛らしき鳴き声を
確認した。

 まったく、逞しい限りである。

獅心女

獣なる部分

 私は、生きる為に動物を殺して、その肉を食べ、
子孫を増やそうとする。

 それは、本能であり、それしか生きる手立てを
知らない。

もしも羽があったなら・・・

 こんな私でも、大空を舞ってみたいと想う事が
ある。

 鳥のように羽があれば、きっと高い空へと飛ぶ
ことが行え、どんなに楽しいだろう。

生きる為に、殺すこと・・・

 何も解らずに食する肉片も、やがて自分に子が
産まれれば、他動物の子を想い、親を想う。

 されど、肉を食わねば生きて行けない・・・。

 草木を食(は)み、生きて行くことが、我々も
行えるのだろうか?

 生物の皆が、草木を食み繁殖したならば世界は、
どう変わるのだろうか?

私と彼ら

 大自然を見渡せば、草木が豊かな地なら色々な
生物が栄えるが、その草木が減れば、生物も栄え
ない。

 草木を食べるもの達は、私の肉を差し出せば、
それを食べるのだろうか?

 草木を食べるもの達に、私の肉を差し出しても
彼らは、食べないのであろう。

 そして、私も草木を差し出されても食べない。

私の肉を食べるもの達

 唯一に、私の死後において、その肉をと啄ばむ
鳥や、小動物が居る。

 私の肉は、小さきもの達と、空を舞うもの達に
食され、そのもの達の肉と成り、血とも成るので
あろう。

私の夢と現実

 私が朝起きれば、四本足の生き物であることを
思い知らされ、昼間にと空を舞う鳥達を羨みつつ
夕方にとなれば、傷付いた片足を引きずりながら
体を丸めて、己の弱さを庇いながら寝入る。

 そんな時には、決まって複雑な夢を見る・・・。

 何ものかに追われたり、襲われたり、食べられ
たりと・・・。

 そしてまた日が昇り、目覚めれば、肉を食らう
自分の姿が、水辺にと映る。

私は、御前に問う

 我(われ)、汝にとが問う。

 「朝、四本の手足で這い起き、昼に二本の足で
歩き回って、夜ともなれば、酒に溺れ三本の足で
歩くのは、何ものなのか?、そして、そのものの
肉は、美味いのか?」

 ・・・っと。

 答えぬならば、我(われ)は、汝の肉を貪る。

 もし汝が答えられたならば、御前は、私の肉を
食らい、生き血を呑みて勝ち誇りつつ、それらを
他の人々にも勧め、英知に跪(ひざまづ)かせる
のであろう。

御前の眼

 御前の眼には、何が映っている?

 御前の眼には、私が映っているのか?

 御前の眼には、全てが見えているのか?

 目の前にある、全てのものだけが、世の全て
なのか?

 見なくても存在するもの、見えていても存在を
認識できないもの・・・。

 その違いが意味するのは、何かを問うが良い。

私の名

 人々は、我(われ)をSphinx(スフィンクス)と
呼ぶ。