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時間と空間は、違う物である。

物理学の観点

 時間と空間は、同一的に存在していると表現されるような事が、物理学の観点で有ったのかと想われる。

 でも、それは、間違っているのかと想われ、既に学会でも否定をされていたと認識しています。

時間の概念

 一時期は、『次元』と言う観点に焦点が合わされ、特に『四次元』と言う概念によって、「過去、未来にと空間が移動する事が物理的に可能である」との倫理的な仮説が有った。

 そもそも時間は、人が作り出した尺度であって、人が行動、作業などをするに至り、時の尺度を表すだけの物であり、つまり嘗ての物理学者は、時計と空間の区別が付かなかった可能性が有る。

 物理の仕組みでは、「(A)作業の速度が1の人と、(B)作業速度が2の人に、(C)等しく3の作業を課する」と、『(A)が3、(B)が 1.5 の時間で作業を終了した』との関係において、「作業的に(B)が早く終わったのだから、(A)よりも未来的に生きている」との観点に成る。

 これだと、個人的な仕事の能力だけに留まると想われますが、それを市町村、都道府県、国家の単位にと広げると、結果的に先進国と途上国に行き着くのかと想われ、『先進国が未来的』にと言う印象が強くなります。

 ところが、人の寿命などを考えると、途上国の人も先進国の人も同じ時間の中で生活をしているのであり、相応の不平等ですが寿命があっても、同じ時間の中で生きています。

 よって、それまでの物理学では、「未来や過去、現実も同じ時間に存在してる」と状況に成っていたのが現実かと想われます。

近年の物理学者

 改めて、色々な学説が問われていますが、学説におけるどれもが、「科学者による、あらゆる開発に必要とされた国費(国民から回収した税金)は、国益や広くは、全人類の利益として使われた」と、主張をしているに過ぎない感じがする。

 つまり軍事開発や宇宙科学を含めて、多大な費用(国費)が消費されているが、それにおける必要性を主張しているに過ぎないのかと思えるのである。

 さらに近年では、五次元、六次元・・・等と次元の追求も深まっている状況にありますが、逆に目の前の現実に付いてまでもを、それらの科学者が把握をしているのかは、大いに疑問視をされています。

 いつの時代でも、科学者によって生じる悲劇は、人類に大きな損失を生じさせたとして、歴史にと刻まれています。

 その自覚が、各課学者に有るのかは、別として・・・。