記事一覧

法務大臣だったら?

Yahoo!Blog からの移行

平成19(皇紀 2667;2007)年12月13日(木) 02時24分

ファイル 4286-1.jpeg

死刑執行の期日を過ぎた者は・・・

 全てに執行許可を与えてしまうだろう。

なぜ?

 実は、法的な意味合での死刑執行には、
微妙なずれがある。

 それは、法的な制定の意味合の執行と、
刑罰としての執行。

 これは、何を意味するかと言うならば、
人の行動に対し抑制力の為にある死刑と、
刑罰として与える死刑とがある。

法的なずれ?

 つまり裁判により死刑が確定されても、
それを執行許可をする者が、それを拒む
ことがあれば、成り立たないのが死刑だ。

 その背景には、冤罪と言う言葉がある。

 つまり無実であるのに犯罪者になると
言う場合において、それが死刑囚だと、
どうなるのかが問われるのである。

 しかし被害者や遺族の人の事を思うと、
そうも言ってられないのが、死刑である。

 あと一般に誤解されやすいのが刑罰は、
国が行為者に課した罰であり、行為者の
不法行為により被害にあったと言う人々の
仇討ちをする為の法規でわない。

 そして死刑も、被害者にも刑執行等を
伝えては、いないのが事実のようです。

で、何で死刑を、執行許可しちゃうのか?

 これには、法の矛盾を問う意味合がある。

 つまり重犯罪を行い、死刑を確定した
死刑囚が、実際に死刑が執行される迄の
期間は、法的範疇を明らかに超えている。

 その結果、犯罪行為者に対し有益なる
利益を被害者よりも多く与えている事に
なるのだ。

 但し、その観点は、現行法規にてでの
感覚であって、現行の刑法が改正されて
それに伴い死刑制度も換わったとなれば、
それ相応に異なってくる。

 完全犯罪の場合には、時効消滅なども
成立する場合もあり、犯人自体が特定を
できない場合もある。

 その半面で、法によって定められたと
言う行為なにも関わらず、それに背くと
言う結果を出しているのは、政治であり、
それを黙認しているのが国民となる。

 私の感覚で、事件発生から死刑執行の
期日までを考えると、明らかに犯罪者が
有益であって、これにおける被害者達の
無念は、考慮されていない。

結論

1.
 死刑制度は、国民が定めた法規であり、
それを遂行しないのは、法務大臣の責任。

 つまり、法務大臣個人の責任なのか、
法務大臣を支持する民の支持によって、
執行されないのかが問われるのである。

 法規は、決定事項であって、それらを
拒むには、国会にて、それ相応の理由を
釈明する必要がある。

 又、死刑制度が将来に決定されても、
現状における死刑囚は、それを免れると
言う事は、ないのである。

2.
 現場で警察や刑事、そして被害者が、
どのような努力によって犯人を追及し、
ようやくに逮捕されたかを、認識した
法務大臣は、まず居ない。

 只単に、自らが人殺しの許可をすると
言うのが嫌なだけである。

 ならば、法務大臣を辞任すれば済む。

 逆に、法務大臣でありながら執行の
期日が過ぎてるのに、それを行わない
と言うのは、怠慢にも値する。

3.
 被害者や遺族などにとっては、代価
と言う意味合では、死刑の執行が唯一
合法的に有効な加害者への請求である。

 しかし、それを被害者及び、遺族の
許可を無く拒むと言うことは、本来わ
あってわならない。

4.
 冤罪に付いて触れているが、これの
問題も重要視がされている。

 ・・・しかし問われるのは、冤罪と
言う事実が、死刑の執行期日までに、
明確にされる必要があり、それらを、
警察、検察、裁判所などにて的確に、
見つけ出さなければならないのである。

 結果的に、冤罪のまま死刑になった
と言う事実が有ったと言うならば、
それは、国家の不成熟な法務機関での
欠損によって生じた被害である。

 逆に、例え死刑の宣告を行っても、
それに纏わる関連の国家人員達は、
刑罰の執行がされない限り、それの
責任を免れることとなる。

 しかし私が思うにわ法務に携わる
人員が、法務規定を勝手に緩和する
と言う行為は、裁判官を含めて常に
犯罪者や不当行為者に対し有益なる
行為に繋がると判断をしている。

5.
 法務の人員は、自分達の仕事が、
どのような事なのか把握していない。

 個人訴訟を民事提訴して解ったが、
公務員は、通常だと法規範疇でしか
活動ができないが、それを逸脱し、
自分勝手に活動することで、善意を
尽くしていると勘違いをしている。

 その半面で法規的に行わなければ
ならない事を、行わずにいるのだ。

 これは、公務員として重大となる
欠陥であって、どの分野にも発生が
確認される。

 面白い現象として、『公務員でも、
人間である』と言い、公務時間外に
犯罪行為を行う者が居る。

 そんな人員に公務員になる資格を
与えている国家にも、かなり疑問が
あるのわ事実である。

 そもそも公務員だから、国家にわ
忠誠を誓い、国民に対し奉仕をする
と限らない。むしろ、その殆どは、
収入的な観点だけの問題であって、
色々意味合で、資本主義が嫌われる
根源にもなっている。

 よって上記の理由により、私が
現行法規のままで、もし法務大臣に
着任をしたら、一年間に何百もの
死刑囚が遺体になるだろうことが、
予測されるのである・・・。

 それが公務での仕事であるなら、
着務している限り拒む理由わ無い。

 もしも個人的な理由で、それを
拒むのであれば、その地位を退く。
それが、着務した人員に課せられた
責任であると判断をしている。

ASIA太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議への代表だったら

Yahoo!Blogs からの移行

投稿日 平成19(皇紀 2667;2007)年09月04(火) 04時29分

ファイル 4285-1.gif

写真撮影には・・・

 紋付袴(もんつきはかま)か、赤褌一丁だろ・・・w

もし自分が『戦死者』だったら?

Yahoo!Blogs からの移行

投稿日 平成19(皇紀 2667;2007)年08月16日(木) 02時40分

ファイル 4284-1.gif

参拝されて、どう思うだろう?

1.皇室の人達から、参拝を受けたら・・・。

 正直、現代と言う状況を理解できたならば、
心底から怒り等がこみ上げるかもしれないが、
もし、自分の親戚を含めた子孫が育っている
ならば、その幸福を願うかもしれない。

2.A級戦犯者の親族に参拝をされたら?
>合祀について
 戦争の極論は、戦場の兵士にとって生残り
と言うのが勝利であり、『戦死を英雄視する
思想ほど女々しい事は、無かった』と思う。

 『天皇万歳』を発し、絞首刑台にぶら下る
者も言えば、「お母さん・・・」と叫んで、
海の藻屑(もくず)となった者も居た。

 将来の日本を考えた結果論を言うなられば、
「悪と言われても、その価値がある」と言う
判断をしていた場合には、どちらか勝者か?

 A戦犯は、『永久戦犯』であり、裁かれる
対照の人物を通して、深く、その恨みを刻む。

 ・・・他の手段があったなら。

 かつて、日本国民の数名が他国で活動中に
Terroristに拉致された時に、Terrorist達が
捕虜に伝えた言葉である。

 捕虜が解放された理由は、Terrorist達が、
別の選択を新たに見つけたことを意味すると
解釈をしても良いのかもしれない。

身内に参拝されたら?

1.母親に参拝されたら?

 私も、この時代に産まれたかった。

 母、私を戦場で、、、その為に産んだ。

 天皇万歳の為に自らの子の惨劇を求めて、
それが結果であって、論理で後を解除すると
いう試みでは、浮ばれない。

 解除する行為によって、人が同じ過ち等を
繰り返すことは、既に解っていることである。

 人にとて必要なのは、理解しつつも過去を
正当化しないことである。

2.戦争を知らないあかの他人に参拝されたら?

 きっと羨ましく思うが、その喜びを共感し
共に喜べたら、私の魂も愛かばれる。

 御国の為に、家族の為にと戦った末には、
こうして肉体から離れてみると、人としての
自分に対して何をしてやれたのかと、悔やむ。

 自分には、自分の為に何かをしてやること
忘れていなかったか?と永遠に悩むだろう。

 その身体は、両親から貰い受けた物だが、
後にあんな辛い思いをすると解っていたら。

 他人の悪事を平然と罵(ののし)る割りに、
自分達の悪事を隠蔽し、生きていけるような
ずうずうしさが無ければ、今日までの日本も
繁栄しなかったかもしれない。

 私の親族は、この「あかの他人」の様に、
参拝をしても、何を望むのだろうか?

 戦争は、私が行っても、それを免れない。
その環境を維持したのは、誰だったのか?

 行動をし、罪を問われるなら動かないと
言う方が良いとの判断が、正しいのかとも
想える。

 それならNeetの存在だって安易に理解が
できるでわないか!

 家を飛び出し、Net難民と呼ばれてまでも
その生活を維持しなければならない理由は?

 そう私がかつて、戦場で戦死しなければ
ならない理由と、大差があるのだろうか?

 願わくば、現代での人々の幸せを共感し、
過去の苦痛から癒されたい。

国会議員の参拝は?

1.総理大臣

 真意が透けて見えてまでも、恥を曝すと
言うならば、それを留める理由がない。

2.その他の閣僚、代議士の参拝
 平和を望めば平和になると思ってるのか?
望むだけなら、戦争になる前から、戦争にと
ならずに済めばと、多くの国民が心密かにと
どれほど望んだかまで、理解できないだろう。

 戦争を知らない世代の子供が参拝に来ると
言う理由は、私欲な望みばかりで、私と言う
存在の意味合を理解できないだろう。

 神仏がいるならば、それに願い頼むだけの
非力な人間を愛するほど、神も仏も暇でない。

 平和にして下さい・・・でわなく、『私の
能力で、平和にします!』と、申出るほどの
立場で参拝をすると言うのが代議士としての
立場的な参拝であろうに?

 その真意、参拝に来ても透けてみるだけに、
団体の所属しようが、連れられてこようが、
透かされている恥を知らぬのは、参拝者当人
だけなり。
私が望むこと
 あの苦痛を忘れたくても、その苦痛があり、
ここに祭られるに至っている。

 その苦痛までもを癒(いや)せるならば、
参拝するが良い。

 私の苦痛を共感できる程度のことならば、
人間、誰しもできる。
 私に平和を望むな!

 そして私に誓え!

『平和は、私が造りて、それを維持し共に、
 その喜びを、祝えることを・・・』

 私は、悲しみの涙より、多くの人の幸福な
笑顔と、喜びを求めている。

 同士の戦死者よりも、この地上の苦しみに
死した者達を忍びつつ、その魂と共に喜びを
共感できる日を・・・。

 その想い理解できなければ、悪魔と呼ばれ
人から憎まれてでも、あの『地獄』を再び、
この世の現実へと導く者が現れるだろう・・・。

 死人の魂に、取り付かれた事も知らずに。

もし検事なら?

Yahoo!Bligs からの移行

投稿日 平成19(皇紀 2667;2007)年08月02日(木) 12時14分

ファイル 4283-1.gif

検事とわ?

 皆さんは、検事(検察官の地位を意味する)と言う業務を御存知だろうか?

 刑事訴訟において捜査や訴追、裁判を経ての執行に対するの監督などを行う検察官の業務として、その中でも検事と言う地位を示す。

 検事と言う役職では、色々な担当があり、それぞれの担当を公務内容を行うことが求められている。

さて私が検事なら?

 犯罪者を憎むのは、初めだけだと思われる。

 どうして犯罪が根絶されないのかを考えるようになると、その矛先がきっと犯罪者から外れて行くのかと思われる。そして結果的に、検事と言う職を・・・。

 「禁断の実」それは、果実でなく知らぬが仏と言う様な知識であったのかも知れないと思いながら・・・。

その後に私だったら何をするだろうか?

 結果的に、今と変らない生活をしていそうだけど・・・・Σ(〃▽〃)あはぁ♪

 改めまして、こんにちわ! 万屋のHIROです。

自分が警察官ならば

Yahoo!Blogs からの移行

 平成19(皇紀 2667;2007)年08月01(水) 09時31分

ファイル 4282-1.gif

自分が、警察官ならば

 私は、警察学校へ、行ってないので、警察の行為による、根本的な意味合いの理解は、無い。

 しかし一般人としての感覚で、それ迄の人生経験から察すると次のような事が考えられる。

悩むこと

1.正義とわ?
2.不法行為者の存在と、自分の存在
3.自分や同僚の不当的な行為

 主に、上記の三つが誰でも想い付くような、内容なのでわないでしょうか。

 でわ、その「悩み」を解決してみる!

1.正義とは?

2.不法行為者の存在と、自分の存在

 法律を守る事が正当であると言う事実等は、大抵の人が把握をしており、悪党までも、そのことを十二分に把握している。

 しかし不法行為者が居ることが前提で自分の存在が確立されていることを思い知らされる。

 更に、犯罪の減少なんて、ありえないのでわないのだろうかとまで想うのでわないだろうか?

 そう悪党も人間であって、過剰な正義感にて人を人とわ想わなくなる。その現象は、不法な行為者にも言えるのでわないか?

 なぜ犯罪行為を楽しく感じるのか、常習的に犯行に及ぶ理由は、なにか?

 そして、その様なことが解った結果・・・。

 警察行為が刑罰を前提とした論理的抑制力を確立される為に存在をしており、その為には、犯罪者の検挙率を上げ、Patrolなどの活動にて不法行為予備者の行動を牽制する為の存在が、警察官である役目である。

 実際に犯罪行為を減少させると言うならば、生活環境、心理などを十分に把握し、それらを踏まえて、自分に何ができるのかを問うならば、正義を心底考えるなら、警察行為が正しいとは、限らないと解るはずである。

 人は、次々に新たに生まれ、零から物を学ぶ。

その過程において何だかの支障が発生すれば?

 皆さんの人生が、それで良くても子供達は・・・。

3.自分や同僚の不当的な行為

 警官も公務が終われば只の人である。公務が終わった後にまでも性犠牲を求めると言うのは、どうだろうか?

 しかし、だからと言って不祥事が発生すれば、その信用性が、一個人としてでなく全国警察官として、疑われることになる。

 じゃぁ~それに見合う給料や生涯の保障等を与えているのかと言う点でも、大いに疑問だ。

 何かしらの代価を求めても当然であるのが、人の心理でわないだろうか?

 そうした代価心理が、「○○ぐらいなら」と言う真情が脳裏をよぎる時に・・・。

 かといって、自分を抑制し、かつ同僚達を、善意者の如くに、論理的に抑制するとしたならどうだろうか?

 志は、代価的に考えて換算することができる。

 むしろ、そうして対応するのが現代的な解決の方法では、ないだろうか?

 そして、それに見合わないようであるならば、自分の為に、その職場を離れることも検討するだろうと想う。

悩み引き金を引くぐらいなら・・・

 そこの場から離れることを、なぜしなかった?

 他人を救えても、自分を救えない。他人へは、正義を主張しつつ自分にわ正義を主張できない。

 警察官は、まず自分の身心を守るべく自衛の基礎を把握し、その基に志を築くことが必要だ。

 引き金は、自分だけでなく、相手に対しても同様である・・・。