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No.0541 肉を食べない戒律の理由が理解できるか?

2004-08-16
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  元祖 万<よろずがく>学 No.0541
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作成 2004-07-03
課題 肉を食べない戒律の理由が理解できるか?

 なぜ宗教など規律で動物の肉食等の規制をする
のであろうか? そもそも宗教における目的は、
一体なんであろうか?

<Prologue>

 宗教の原理は、個人の思想による人生哲学から、
それらを多くの人に教えとく事で、多くの人達が
幸福な人生を日々迎えることができるとの想いで
代々にわたり、その教えを説いている。

 ところが近代宗教においては、それらの内容を
利用して社会主義を否定しつつCaste制度を
用いて人間関係を構成し、自らの社会的な地位を
優位にしている輩達が非常に多い。仏典や聖書は、
信心があろうが無かろうが、あらゆる宗教などの
聖典も含め、『知的な得(教え)などを個人的に
取得し、それらをまるでわが身が主や神、仏等に
なったかのごとくに他人に説教してまわる輩達。

 近代文明は、自分の支配下において自らよりも
優れた能力を持っている人材に対して、服従性が
ないと潰しにかかる。しかも現代日本の場合は、
横のつながりや、利得の関係から自分に利益等を
もたらす人材のみを善人とし、それ以外を悪人と
称して、排他するのが現代社会の現実であります。

 ”社会”とい言葉は、万学で説くところでは、
『神や仏、神社などを祭りて、その地域を中心に
人が集まり生活をする。社会思想の文化的集合』
と解しています。

 農産業を営む場合には、どうしても領土などが
必要となり、更に人員なども必要になってくる。
それらを優位に確保する為には、他の社会環境を
侵害して行く必要があったのです。

 人間の文明や歴史を遡ってみるならば、争いが
無い時代などない。常になんだかの争いがあって
人間の文明が進化している。これらの状況などを
いち早く悟った宗教さえも超越した知的団体は、
それぞれの思想に基づいて故意的に敵対しては、
文明を進化させているとまでいわれている。

 そうした知的文明国が、自らの社会的優越性を
求めて世界的規模で争ったのが、世界大戦だとも
言われています。また二度も繰り返された大戦に
よって、人類の文明が大きく進化したとの事実は、
歴史上でも変えることができない事実なのです。

 ”勝ち組、負け組”という言葉は、経済的での
危機等から自ら生きようとする力を養う、学ぶと
言う意味合で、あらゆる宗教が日本の文化などに
持ち込んだ言葉でもあります。しかし、それらの
言葉の意味合を掘り下げてゆくならば、私たちの
文化的歴史からも、愛国との言葉を信じて、戦い
死んでいった人間が過去にどれほどいたでしょう。

 この事実は、日本歴史から遡り比較的に新しい
過去の事実を取り上げていますが、もっと遡ると
似たような現象が多く発生しており、日本だけに
限らずとも世界各地で、似たような現象が発生を
している。

 宗教等の知識を極めた者達は、そうした実情を
”ものの哀れなり”と解しており、新たに生まれ
また新たにしに行く人間がいる以上、日々に学び
そして日々に知的財産を共有する必要があって、
それを広めることが平和を意味することになると
言うのですが、経済効果や個人的利得等の人的な
本能により、現代宗教の殆どが原理に反している。

 現代人の誰もが思っている真意に『もし現代に
神が蘇ったなら、悪魔となって人々に復習をする』
と世間一般で言われるほどに、自分達の私生活が
理想からはるかに劣っていることを認めている。

<Play>

 『人間が生物学的捕食生物の頂点に成る』等と
断言し、それらの猛禽類動物の化身として象徴を
しては、争いごとに挑む狩猟的思考の人種がいる。

 狩を行う者にとっては、狩猟によって動物達を
殺めて、それを食することによって自らが生きる。
そうした生活を慣習としてるが、それであっても
宗教や信心がないわけでもない。

 農耕民族や遊牧民族にとっては、家畜における
動物への愛情は、家族同然のものであるとされて
大変に愛情を注がれた。しかし農耕の文化が進み、
文化的な発展を遂げると、他の動物達が人工的な
農地に侵害し、それらの動物を”害悪的動物”と
生物的な位置づけを行ってしまうのが一般的だ。

 でわ人工的に食肉用として育てられた家畜は、
人間に食する為に生まれた動物であって、それが
その動物誕生の宿命であり、逃れる事ができない。

 でわ人間にも同じことが言えるのであろうか?
憲法や法律において、人権として個人の人格を
保障しているものの、論理的な意味合でわ保障が
されても現実的実践という場において、それを
守れる社会がこの現実にあるだろうか?

 闘争的欲求は、いかなる現象が担っているか
考えてみるならば、その本能的根底に”性”と
言う言葉が現れてくる。

 捕食動物の類を伴わず、捕食される獲物等が
存在しなければ、生存を継続する事ができない。
また生活環境において種の保存に関する生活的
環境が保てないのであれば、子孫を増やす事も
できなくなるのである。そうして絶滅してゆく
動物達が後を絶えないのです。

 現代の若者達が疑問に思うことは、自分達が
己として行く為の”自ら人格を分ける”ことが
できないことにある。それは、社会的環境での
外圧的偏見による重圧が個人の力を上回るので
そうした現象が起こるのである。

 自らの人格を否定され、逆に外圧的な人格を
押し付けられるという現象等は、人間誰しもが
嫌う行為であり、人生としての苦痛でもある。
それらの外圧に耐えられない場合には、人生を
終える決断をする者が現れてくるのだ。

 現代の日本人は、世界規模でも見ても比較的
優し過ぎる言われている。”過ぎる”といった
言葉が付くのであれば、”良薬も度が過ぎれば
毒になる”との言葉のように、これも良くない。

 適度な優しさと適度な競争心、そして周囲に
認められれるが如くの人格などを習得しないと
現代社会では、優位に生きて行けないのだ。

 陸上動物の肉を極力に食さないようにしてる
私の心情は、”食したいなら自分で狩をする”
と言った意味合がある。つまり、人間の傲慢で
主命を背負い誕生した動物の肉を食べないとの
意味合からで、今のところ陸上動物だけに限定。

 各宗教においても動物の肉を食さないと言う
意味合が、どこに隠されているのかもおのずと
各個人が考えてみれば、解かりそうなものだ。

 食卓に上った肉の断片が等の元が何であって
それがどのような過程を経て自分の口に入ると
言うのかを理解していない、むしろ理解すると
言うことができない先進国文化の人間に対して
あらゆる宗教原理主義者達が遺憾を痛感してる。

 良き教え、純粋なる心が悪へと変貌する時は、
混沌なる現実を浄化することを試みようとする
”不義なる正義(正義の異端児)”が生まれた
時でもあり、それがTerrorismとなり
一般的な人々を襲うのである。そしてそこから
学ぶべきは、私達先進国での一般生活でさえも
Terrorismにより死傷する為に誕生を
したと思わせんばかりに、その権力を振るう。

 これらは、日本での暴力団等の活動心理や、
その外の犯罪心理にも共通することであって、
現代日本の多くの若者が理解をして降りますが、
それを受け入れられない、存続的不良社会人の
存在によって、抑圧されているのが現状です。

 さぁ〜、あらゆる宗教が動物の肉等を捕食、
また殺生をしてわならない、理由を皆様なら
どう考えるでしょうか?

 私が、陸上動物の肉を好んで食べない理由は、
”自らが狩をして獲た獲物でないがゆえ”と
いう単純な理由からです。しかし例えるならば、
性格上、活きて行く為に”狩猟をする”心得で
狩猟すらしないものの、狩猟の如くに経済的な
営利を追求することもあかもしれません。

<Epilogue>
 私が象徴している化身は、”日本の狼”です。
絶滅こそしましたが、人間の生活においては、
比較的見習うべき点が多くありそうだと考えて
おります。又、そうした中でも人として改める
点が多くあるとも思っています。

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☆ 笑いの電動コケ師達 ☆
(万学的、帰ってきた天才、秀才、HIROとその仲間♪)

<お題>
万学的、肉を食べない戒律の理由が理解できるか?

天才 自然環境における人間用途が多種多様であり
   色々な動物の役割を代行できる能力がある。

秀才 植物と動物と言う観点の他にも、昆虫などの
   生物が居るが、近代的観点から昆虫の世界は、
   影となっている。

阿保 肉を多別と言う観点よりも、食われる方での
   立場を考えるなら、それが何を意味するのか?

HIRO ただ単に”太る”と言う意味合で極力避けて
   いるのですがぁ、それでも太りますねぇ。

馬鹿 贅肉が付いたから太ったと思うことは、誤り。
   実際に体重を量ると・・・増えてるなぁ〜。

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