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災害と、宗教、そして憲法

富士山の噴火

 その他にも我が国では、もともと火山
列島、地殻の変動によって国土が形成を
されており、別に大地震が珍しいと言う
ような国でも無い事は、現代の義務教育
だと小学校中学年程度で習うことである。

 ・・・が♪

 そんなこと、忘れてしまうちゅ~の!

一般国民の生活と大自然

 日々に、色々な目前の課題に付いて
取り組む生活状況において、自然との
対話なんて、行えるような生活状況に
ないのが、現状の一般的国民生活かと
想われます。

国民と僕民

 私は、常に僕民と国民は、区別され、
「僕民は、比較的に食肉動物と等しい」
と判断しています。

地上における総人口と人類の存亡

 今の時代は、60億人を超えたとも
言われる人類ですが、日本人だけでも、
一億人を超え、仮に日本が全滅しても、
人類が滅ぶと想えず、それでも59億人
残るのです。

宗教と災害

 さて、Judea、Christ教などを悪く
言うつもりも無いのですが、国際的な
上層幹部は、色々な情報を収集しつつ、
銀行、保険業、各地域の慈善と称する
業務団体などを運営されていますが、
それらの宗教観点から「真にと倫理を
想うのならば、災難から逃れられるで
あろう・・・」などの観点もあって、
何の信仰があっても、その被害にと
遭った人達には、相応に人としての
(自衛)責任があって、それらでの
能力に欠けていたから被害に遭った」
と割り切る他に無い状況でもある。

災害の発生と、民衆の感情、そして公務員

 更には、多少の悲劇があれば、
それを機会に、人の絆も深まるで
あろうなどと言う、人が陥る心理の
状態などを踏まえ、「相応な恐怖と
欠乏から免れない国民性を形成して
利己的な支配意欲を満たそうとする
各種教祖によって、憲法の前文すら
まっとうできず、且つ公務員自体も
憲法の前文に何が書いてあるのか、
健忘してしまう状態」にある。

宗教の観点で

 くどいようですが、「仏教では、
『三途の川原で、餓鬼が石済みする』
戒めがあり、Christ教だと解り難い
文化感の相違が有る部分」ですが、
愚かにも、各地域の宗教を排他する
傾向が、どの宗教にもあり(憲法・
第二十条の違憲)、それらに伴い
結論的に人と人との傲慢な争いに
おいて、大自然を無視した結果が、
災害の被害であるのかとも想われ、
我が国の憲法では、「われらは、
全世界の国民が、ひとしく恐怖と
欠乏から免かれ、平和のうちに
生存する権利を有することを確認
する」ことすら行えない国民性を
保持しており、戦争から何を学んだ
のかも不明な状態だが、それらの
責任に付いて、全公務員が憲法・
第九十九条に反して、民と接遇の
観点から、教え説く事も無く、
Elite(エリート)として、一般の
国民を軽蔑してきた結果に基づいて
生じる現象なのかとも想える。

日本人とは・・・

 日本の国籍を有して居るからと
言っても、日本の国民的な生活を
行っているのかとも限らず、その
生活と言う観点では、極悪非道な
活動であっても、国家が暴力団と
御墨付きで、その存在を認める
程度の状況に至る。

外国人と法律

 外国人であっても、憲法や法律
などを厳守してくれるならば、
当然に帰化して欲しいと国家での
立場で望むところなのかと想う。

結語

 よって我々は、憲法の前文すら
遂行する能力が無いとも想えるの
だから、「われらは、ひとしく
恐怖と欠乏から免かれず、平和の
うちに生存する権利を有する事を
主張しても、それらを免れない」
と言った論理式が成り立つので、
当然に災害の被害にも遭いつつ、
それらを助長しているのが、各種
宗教が、勝手(憲法・第十二条を
逸脱する思想)に基づき、生じて
いるのかと判断する所でもある。

私一人

 なお、私一人が・・・、っと
言いたいのですが、私一人でも、
これまで多くの公務員の皆さんに
御協力を頂いて、憲法、法律にと
基づいた公務の有り方と、民との
接し方に付いて等の点で、協力を
頂いておりますが、逆に言えば、
「どれだけ一般の人が、憲法にと
基づく国民的な活動をしてないか
解る状態にある」のが現状で、
それらは、日本にと限らずとも、
今時代の先進国で見られる社会
現象だと判断をするに至っている。

そして皆さんへ

「最低限度の生活な、私ですら
行えるのに、あなたは、なぜに
行わないのですか?」

 私の行っていることは、個人
でも行え、特別なことでも無く、
各宗教団体は、相応の倫理性が
憲法や法律よりも高いのだろう
から、私以上の活動を期待する。

 それが行えないなら、いかなる
教えであっても、現代の我が国に
必要とされる宗教とは、認め難い。