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じゃんけん勝負の心理

 まず初めに、この文面を見た人は、先入観が植え付けられる為に、今後の『じゃんけん勝負』に付いて、色々な影響が出る可能性が有ります。

 また、僕の判断による独創的な文面なので、過信しないように心がけられたく、弊害が生じても責任を負いませんので予めに御了承を下さい(つまり、参考の程度に留めて下さい)。

基礎的な性格に伴う、初めの出し手

ぱー
 基本的に、おおらか、解放的、心が広い性格の人。

ちょき
 賢い、機転が利く、策略的で戦略を効かした勝負を好む人。

 『はさみ』の形と異なり、『ぴすとる型』を出す人は、個性的な戦略で勝負に挑むような人が多いようですが、『悪賢い、ずる賢い』っと言う部分も有るのかと想われます。

ぐー
 意思の硬い人、頑固、心や志(腹づもり、思惑)を相手に知られたくない等、心が堅牢(けんろう)的な人、内気(弱気)での防御

その時の気分と出し手

 その時の気分にも影響され、先の基礎的な性格に基づく内容の応用に成るのかと想われます。

ぱー
 気分が爽快、楽しい、開放的、ある意味で負けても良いと思える程の余裕

ちょき
 挑戦的、闘争心、野心的な心理状態

ぐー
 決意が固く、防衛(防御)的で、挑んでくる相手から自分を守りたい心理

一般人の対戦

 一般的に社交性が高い人なら『ぱー』を出す人が多いのかと想われ、その対抗として『ちょき』を出すと勝率が高く成るのかと想われます。

 ところが自分も社交的な性格ならば、『ぱー』を出すので相子(あいこ)に成る事が多いのかと想われますが、二回戦目から徐々に勝負心が煽られるのかとも想われます。

 そして三回目に真剣勝負的な心理場面と成り、これまでの基礎的な性格から闘争心(競争心)を煽られた心理で出し手の選択を迫られます。(ちなみに、相子を繰り返すと自然的に闘争心が煽られる傾向に有るようです:つまり、挑んできた相手に応じる受身的な心理状態から相子が続くと、「ここまできたら、勝ちたい!」っと言う心境に相手が変わり易く成る;親子など、過保護(擁護)的な関係に有る場合には、応戦者に競争、闘争心が芽生え難いのかとも想われる)

 そして三回目が勝負どころですが、友好な人間関係の二人が勝負しているなら、「どうでも良い・・・等」との思いから、自然(物の流れ、手順)的に『ちょき』が双方の出し手に成ると想像できますが、多くの人が二回ぐらいまで引き分けが続くと、三回目も引き分けに成る事などを想って(勝負心が煽られてたり、勝負を継続する事が苦痛、面倒に思ったりする事から)、少し考えるようです。

安易な必勝の考えは、誤りです

 ここまでの説を聞けば、『ちょき、ぱー、ぐう』の順なら勝てるのかと想う人が居るのかと想われますが、誤りです。

 勝利の回数を競う場合も有りますが、一回勝負(真剣勝負)ならば初めに『ちょき』を出して勝てば、勝負が付きます。

 ところが一回目で『ちょき』で相子だと、次の戦略が問われ、双方の出し手から「御互いが戦略思考(競争心が有って、勝つ気でいる状態)に有る事が解る」ので、最大に警戒する必要があり、次の手から大勝負と成ります!

 ちなみに、初めが『ぐー』で相子だと、御互いが頑固で、防御、堅牢な状態なら、「『じゃんけん』なんて止めて、お互いで折半、妥協するような話し合いを求める」等も有るのかと想われ(ここまでは、自論)、それが「普通の関係における二人ならば、相子が二回以上も続いた場合(競争、闘争心が芽生えた場合)でも、どちらかが途中で停戦を求めつつ、代わりに平等への妥協を模索する為の協議を申し出る可能性が高まる」のかと想われます。(GAMEの理論:非協力 GAME 理論より)

結論

 じゃんけん勝負における出し手を決めるのは、『あなた』の責任で、必勝法は、有りません。

 只単に、多くの一般人における性格と出し手の確率的を、僕が個人的に考えた(想った)限りでの論文であり、それに価値が有るのかは、不明です。

 でも日本人として合気道(僕は、他人から合気道を習っておらず、自発的に護身術としての訓練も行っていません:ちなみに合気道の論理は、物理の力学だと判断しています)の精神に伴う発想から、(甲)初めに協議(妥協)を申し出て、(乙)それを拒んだ相手を迎撃する為に使う戦略として使うつもりで、(丙)相手が戦略的に「挑めば、まず初めに協議を持ちかけてくるだろう・・・」っと過信した(見越した)戦略に対しても、最初から敵とみなして迎撃する攻防態勢を、自己の人格として育て、鍛えています。

補足

 芸能人である森田 一義(Wikipedia)殿は、自らで仲間を集って行われる催しの中(忘年会?)で、じゃんけん大会を行うが、その初期に当人一人と他の全員で対戦を行い、その出し手の順序が『ぐー、ちょき、ぱー』の順を繰り返しつつ、勝ち残った数名を壇上(舞台上)に呼び寄せて、改めて個人戦を行ったらしい。

 僕の説だと、「森田 一義 殿は、確実に負ける手順で予選を行って、特定の人(出し手の順番が解った人)が勝ち残るようにと配慮した」のかと想われます。

 また、勝ち抜いた人達の多くが出し順を把握していたであろう事からも、「壇上(舞台)に上がってからが本格的な勝負と成ったのかと想われ、その対戦する各個人の性格や心理状態に合わせた出し手を森田 一義 殿が用いた」ので、『じゃんけん』が強い人と言う人格を保っていたと判断しています。

おまけ

 よく占い的に(相手に、占っている格好が見えている状態で)、次の出し手を判断する人が居ますが、「只単に、その行為を見せ付けることで、相手の集中心を紛わす(気を散らす、勝利への集中力、気力を散らす)と言う、天然的な防御行動(演出、威嚇)」だと想われます。

 よく手を組み合わせて引っ繰り返しつつ底の方から手の間を覗き込んだり、手の甲に人差し指を押し付けて皺(しわ)を作り、その形を判断しているように見せ付ける等の事である。

 それらの行為を見せ付ける(相手に、占いや儀式を見せる事で、霊力などの能力が有るかのように想わせたり、儀式などを行ったのだから勝てると自分で思い込む)事で、『 自らが強気に成れる(勝気に成れる:有る意味で勝気への自己暗示と成る) 』のかと判断しています。

 その効果に付いては、皆さんが御存知の通りですが、大人に成っても、それらを行う人が居るようです。