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組織の活動と、その従事者である個人の責任

騙されていたり、Mosaic化(モザイクか)された現実

 初めから非対戦や和平を唱える宗教や思想も有るが、それらの背景を辿れば、大枠で分類される宗教、思想の末端における一派に過ぎず、Chess の駒(チェスのこま:または、碁石の如く)として源の宗教や思想の為にと戦術展開を行うも、その構成員に自覚が生じない無い。(長年に勤めていれば、相応に気が付く人も居るだろうが、既に Mind Controlや、利益性の観点から、逆らえない性格、状態に成っている事も多い)

大規模な集団における個人の活動

 別の例えで説明するならば、「公害が発生している工場において、作業過程に有害物の発生が含まれ、適切に処理されてない(つまり公害の発生が生じている)事を、従事している人達が、それに気づいていても(故意)、知らなくても(過失)、『工場として断片的な作業の一部にしか従事してないので、全容が解り難い状態』にあり、それらを隠蔽する技能が企業の全体(組織)として有れば、社会的に優位な立場を維持でき、その企業に従事する者が公害を発生させている自覚の有無に関わらず、業務の更生(改善)をせずとも企業として存在を継続する事が可能と成り、企業の責任者も公害を発生させている状態が倫理的に良い事であろうと思ってない者も居るだろうが、「愚民の存在に否定的で、汚染された者を食べるような人々は、神仏、精霊の導きによって選ばれた犠牲者だ(低俗人種の浄化)」等と思っているような者も居るのかと想われ、それらによる強固な運営によって公害の防止への着手が行われ難く成る傾向にあったり、自縄自縛(みずから作った縄で自らを縛る:己が作った規則に、自らが苦痛的に縛られる:戒め:自己的な改善)で対処するのでもなく、故意に他人から指摘される体制を作りつつも、それに屈しない強行的な能力を発揮する事で、己の権力や統治力を世間にと知らしめる者も居るのが事実で、その性格を解析すれば、精神病質者的な心底に行き着くのかとも想われます。

 つまり何だかの集団に所属している者達には、その組織による活動の真の目的や成果、結果などの全容が見えておらず(一般人の想像を超えており、稀に好奇心を抱くような者が現れれば、その意識を阻害する)、断片的に与えられた作業(仕事、労働)を行っていれば、組織から自分達が守られると過信している人々も多いが、そんな労働(従事)者を企業側が過剰にと守る事も無く、自らの組織が展開している成果の全容すら把握できないような人間関係を維持しつつ、問題が生じれば大勢の労働者と共に企業として被害(損失)を受けると、公的機関に主張する事も有る。

 一般的に、社会、階級、差別、格差主義、宗教や同胞主義などの体制に多く見られ、多くの国民を従えつつ、世間の風除けとしても使い、忠実性を煽る為に歪んだ愛社精神を育てる等の工作は、昔から悪徳企業に限らず、どのような組織(指定暴力団や悪徳集団、暴力的な政治集団に限らず、日本国だと嘗て軍人を育てる為の愛国洗脳が行われて等)でも悪用されている組織の構成である。

 皆さんが行っている労働や活動による結果を自ら確かめる義務と責任が課せられていますが、労働者側の多くは、賃金が貰えれば良いと判断する者(資本主義者)が多く、挙句の果てに不当、不法な行為(違憲な行為)であっても、報酬や何だかの利益、正義、正当性などの関係から着手をする者が絶えない。

 ちなみに、日本国に限らず愛国無罪(Wikipedia)と称するような輩も居るが、実質的に正当化される事が無いが、司法の幹部内に居る精神病質者が認める事も有り、「日本国だと憎悪表現(Hate Speech:Wikipedia)の活動を許可しているのは、各都道府県の公安員会である」等が例として有る。

 なお、憎悪表現の活動に付いては、道路が封鎖されたり近隣への迷惑などを想えば、経済的な効果が無く、むしろ国益的な損失の方が大きく、それを見越して一般人を誘導している可能性も疑える。

近年の行動経済学

 詐欺や犯罪にも悪用されてしまう事が懸念される学問で、一般的な人の心理を考慮しつつ、相手を特定の行動に誘導する事を意味しており、つまり Mind Control(マインド コントロール:Wikiepdia)の方法が説かれている。

 行動心理学にも同じ事が言えるが、近年だと企業に利益における宣伝戦略や、宗教団体や思想団体が悪用している事が多い。

 嘗て学問化されてなかった時代には、相応の知識、技能が有る物が、他人を平然と操作していたが、近年だと初等教育が高度化されており、そうした行為を人が何回か受ければ、自然的に自衛が行えるようである。

 逆に、知識や防御力に欠けていたり、攻撃側が高度な場合などでは、生命や財産など何だかの利益に損害を受ける事が有る。

洗脳された人の罪に対する責任

 裁判などで洗脳された人を裁く時に、責任能力が問われますが、余程の事情が無い限りは、罪を免れないようです。

 刑法でも擁護されつつ、洗脳された後に精神病質者と成っても、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律でも、精神病者として保護の対象に成る。

・刑法
最終改正:平成二五年一一月二七日法律第八六号

第三十九条(心神喪失及び心神耗弱)
 心神喪失者の行為は、罰しない。

 二項
 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

・精神保健及び精神障害者福祉に関する法律
最終改正:平成二六年六月二五日法律第八三号

第五条(定義)
 この法律で「精神障害者」とは、統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう。

日本国の現状

 まず日本人でありながら、現行の憲法や法律を国民にと十分理解させてない初等教育には、重大な過失が有る。

 その背景には、「愚かな国民ほど、愚かな政治に従う傾向に有る」ことで、社会主義、何だかの思想などでも民の学習意欲などを阻害する活動が行われ、奴隷化する傾向に有る。

 基本的には、民に情報を与えず、幸福感と恐怖感で民の動向を操作するが、昔から『飴と鞭(むち)』と言う教育方法が有る程で、「昔も今も変わらない」と言うよりは、人の本能的な反射行動なので、制御をするには、その個々に於ける性格に合わせた訓練が必要に成るのかと想う。

 例題的には、「政府が、大規模な災害の発生や注意、その予測などを公表しない」と言う状態が有り、民間の大企業ならば、公害や有害、欠陥などの公表、恋愛や個人間でも嘘(うそ)や錯誤(さくご)、瑕疵ある意思表示(民法:Wikipedia)なども有る。

 振り込め詐欺も、詐欺だけに留まらず、嘘を用いて、相手を錯誤させ、金員を回収するが、騙される側にも過失(相手の主張における正当性の確認:つまりは、相手が息子など身内を主張しても、それが事実なのかを確認する義務)が有ると判断される事が多く、あらゆる犯罪行為でも、被害者側の過失も追及され、交通事故などでも同じである。

 さて、個人が何だかの理由で集団の構成員に成った時に、その集団的な成果や目標に伴う、極一部の作業(労働)を行うも、その成果や目標が偽りで、真の目的が異なる場合、その責任を個人に追及が行えるのか問われます。

 多くの各国における民は、一般的に自らの幸せな生活が基礎となり、それが満たされれば、国や行政が適切に活動していると判断するが、軍国のように平和と称して、戦争をしかけたり、相手から戦争を仕掛けさせたりする事も有り、それらの工作には、全て個人が関与して行われ、それらの相対的な成果が組織の利益に成ると過信して、当てられた職務を全うする事が同胞の利益に成ると、思い込んでいる(実際には、思い込まされている)が、それが人類の利益に成るとも限りません。 

 世界中の先進国では、引き篭もり(違憲、違法でわない行為)等が問題視されていますが、経済学上における実質的な利益としては、憲法や法律、規律に反するよりも、それらの行動を行わない方が利益と成るが、その実質的な利益を多くの一般人が理解できない為に、不当、不法な行為に着手を行ってしまったり、それらを行わせるように誘導する人間関係工作によって、経済的な損失が生じている。

 それらの事情を学説的に解いているが、Nash Equilibrium(ナッシュ均衡:Wikipedia)であるが、数字的な結果を過信する事が無いように願う。

人の命における価値と数値での価値

 各都道府県に有る防災に関する手引書では、予めに被害が数値的に想定されている。

 例えば、死傷者1000人が予測されていれば、実際に災害が生じたら、その千分の1に成る可能性が、確率的に生じる事を意味する。

 人口が18万人の内で、8000人の死傷者が算出されているならば、4.44・・・%の確立で被害に遭う事を意味しており、つまり22.5人に一人が被害に遭う事を意味する。

 また災害に限らず、交通事故、仕事中での事故、犯罪の被害や病気の感染、発症など、それらの被害における確立を算出した値は、数字であっても、実際に生じれば一人の名前が記載される事を意味する。

 それは、まるで代入法の方程式で、『被害想定(Y)≠実際の被害(X)』との公式において、既に算出されている被害想定に対して、実際に被害が生じた後に集計された数値には、その数字の背景に人名が記録されている事を意味する。

 本来の経済学では、被害想定(Y)が算出された段階で、『0=被害想定(Y)=実際の被害(X)』を追求する必要が有るが、そう成ると救助隊の価値が無く成ると過信している精神病質者的な権力者が居る関係から、実際だと『被害想定(Y)≠実際の被害(X)』だけしか国民などに公表してない。

なぜ、そのような事が生じるのか?

 只単に、同胞の優勢を保つ為と、基本的に「優秀な人材を擁護する。自分の子孫を優先する」等によって、生じるのかと判断する。

 結論的には、存在の優位性による争いだが、過度に成れば双方が壊滅する。

 人類史で言う典型的な事例が、世界大戦であり、現在でも小規模な軍事が行われている。

 そもそも戦地に行くような人を作らなければよく、家庭での教育も問題視されるが、政府が子供を産ませても、健康で健全性の有る人格を育てられない家庭や親が多いのも先進国の現状である。

 つまり自分一人の責任から、夫婦、親子となれば、相応の責任における範囲が広く成るが、一般的に子供への責任を親が負わない事が多く、まれに子供が重悪犯罪に着手をして、その責任から親が自殺をする事が有ると言う程度である。

小さな集団、大きな集団と自分(一人)

 小さな集団だとしては、家庭的な人間関係や友人などの横の繋がりで、大きな集団だと国家に成りますが、最大限の大きさだと人類と言う分類に成るのかと想われます。

 世界人口は、平成25(西暦2013)年で約72億人と言われ、その一人が皆さん個々と成ります。

 各国の民としての責任、家庭、世間的、人類としての責任について、どう考えるのかが問われつつも、何だかの宗教や思想の構成員と成って、その責任を同胞で集結させつつ粉砕するような人達も居る状態で、どのような未来が待ち受けているのかは、想像・・・できますね。

 あなたに未来は、有りますか?