記事一覧

指定暴力団と、『やくざ』の違い

指定暴力団

 暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、第一から四条に基付いて、指定された暴力団組織を意味する。

・参照
 暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律 - 電子政府・法例検索(最終改正:平成二六年六月二五日法律第七九号に基づく)

 逆に、指定されてない暴力団の存在に留意。

やくざ

 指定暴力団と、''やくざ''とでは、意味合いが異なり、本来だと、『風来坊、根無し草、成らず者』を表す。また、そうした者達における性格の性格多くが、『放蕩者、無法者』で有る事も多い。

 ここで、少し考えて欲しいのが、「あなたが仮に、風来坊、根無し草、成らず者だったら、どのように世間を渡っていたであろうか」との部分である。

 僕の観点だと、「一般人と比較すれば、その性格の数が解り易い程に少ない」と判断している。

 つまり、誰であっても、自分の性格と、生活の環境が合わなければ、そこから逃れようと思う(想う)が、それを「実行するのか」が分岐点に成る。

風来坊、根無し草

 その性格から永住地を有さず、気のままに定住地を転々とするが、多くの場合、定住先での周辺における人間的関係が、好ましくなく、転々とする事の方が多い。

放蕩者、無法者

 一般的に、俺さま主義を意味する。

 社会的な規律よりも、利己を優先する傾向にある。

 集団を形成して取り纏めている場合は、独裁的な規律によって維持されるが、必ずしも社会的な規律を守らないのでわなく、必要な時(欲する時)だけ逸脱する。

手拭の一本で世間を渡る。

 日本国における昔の文化では、「手拭の一本あれば、世間を渡れる」と言う観点が有る。他にも、「腕(うで:技術的な能力)が有れば、世間を渡れる」と言われていたらしい。

 先の風来坊や根無し草などは、定住地を有さずに、町から町へと渡る『流れ者』として認識されるが、『(一)もともと持って生まれ持つ性格(の悪さ)から、行く先々で人間的関係を維持する事が難しくなり、町を渡り歩く場合と、(ニ)町を渡り歩く事で、(自分が知らなかった)色々な人や文化に巡り合える事を好む場合』に分けられる。

 (一)、(ニ)とも、風来坊、根無し草であるが、(ニ)が放蕩者、無法者に該当すると限らない。

 そもそも、旅をするのに金銭が無ければ、食べ物を得られないので、どのように収入を得るのかが問われる。

 放蕩者、無法者は、その性格から他人の物を奪う等を行う業を選ぶ事も有るのかと想われ、逆に(ニ)の場合には、やはり相応の腕前を磨いて、世間を渡り歩いたのかとも想える。

 そうした中で、「手拭の一本で世間を渡る」との観点では、奇妙に感じられるが、(一)の分類を有する者に与えられた者にとっては、唯一の世渡り(人生の極め)なのかとも想える。

 商業や技能が無い者は、『何にも成れない者』ので、不良化する傾向にある。その主原因は、飲食をする物を確保する本能にあるのかとも想える。

 僕の独学における経世済民学の中で、刑法に関連する『秩序と人の心理』と言う分野で、「仮に、動物の猛禽類に、田畑を耕す能力が有ったら、それでも他の動物を襲うのか」と言う疑問が定義される事が有る。

 世間的に呼ばれる『ならず者』は、「何にも成れないので、相応の収入を得られず、それによって空腹を満たせない。そこで、他人の食べ物や、それに代わる物を奪うと言う業を行う」と想え、生存の観点で言う『戦略でも有る』と判断でき、あらゆる生命の生存と捕食の関係からも、主要(重要)な部分である。

 また、放蕩者、無法者が町を渡り歩く時に、唯一の頼りと成るのが、その町を仕切る集団なのかと想える。

仁義を切る(挨拶:自己の紹介)

 放蕩者、無法者も、各町々で暴れていれば、その地域を仕切る集団によって、追い出される。

 その地域や縄張りを仕切るのが、集団の長であり、それが組長であったり、親分であったりする。

 その親分に挨拶する(仁義を切る)事で、『出入りする者』と認識されるが、その段階で子分、兄弟と認識される訳では、無い。

 また、その挨拶によって、周囲に自分を知ってもらう事と成り、更に縄張りの範疇を把握しつつ、与えられた業を行う事で、収入を得られる。

成らず者

 『ならず者』と言うよりは、『成れず者』と解釈する方が適切かと想え、何にも成れないので、結果的に収入を得られず、食を満たせない。

 先の親分、組長へ挨拶する時に、自分の性格や特技などを主張するが、それによって見合う仕事を世話してくれる。

 ところが成らず者の場合には、業が無いので、用心棒など、組織の人間として回収され、親分と子分の関係や、兄弟の関係を結ぶことも有る。

 また、それにより若い者達の争いを抑制する効果が有り、比較的に兄貴が有利で、年功序列的に想えるが、組織の幹部などの地位では、実力も求められるので、年下でも年上の兄貴や、幹部と成る事が有り、更に年上でも年下の能力を認めている時には、自ら年下の優れた者を兄貴と呼んで、慕う事も有る。

一家と組など

 これまでの過程から解る通り、組や一家と言う概念は、主に家族的な構成や、組織的な構成からの呼称である事が解る。

 悪党だと、××団など、山賊、海賊や単身の犯罪者など、何にしても、やはり集団性が有るなら、大枠で三つの種類で分類される。

(あ)家族的な構成
 親分、子分と兄弟、姉妹の関係。

(い)師弟の関係
 泥棒など、やはり悪行であっても技能を有する分野では、その技能が有る方が、師と成り、その弟子との関係が形成される。

(う)寄合的な集団
 集団を纏める団長的な存在が有っても、それを中心に集まる者達に、格差を付けず、各々が有する能力を発揮する事で、成り立つ集団。

 これら各種の集団は、特に悪い人間の関係によって生じる訳でもなく、人に限らず、動物などでも見られる構成で、現代に至っても一般の企業や会社、家庭でもみられる構成である。

 やはり、親兄弟を意識する一家や、その一家の複合体、そして身分よりも、集合を意識する集団など、自分の性格に合う集団を見つけたり、仲間を見付ける事で、何だかの集団に所属したり、世話に成ったりする。

 この家庭的な組織の展開を、僕の独学における経世済民学では、『家庭的複合体((Family Complex:略称で、ファミコン:僕的な隠語で、「びこ♪ぴこ♪(Video GAMEの音)」と称している)』と判断している。

 親分、親方や組長、横並びでの兄弟、姉妹の関係は、義理の親子や兄弟として認識される。

 世間一般で言われる義理の兄弟(姉妹)、義理の親子と意味が異なるが、本来だと法的に親族として等親で表されるのが今時代的だと言る。

火消、商業、何だかの技能的な仕事

 商業や建築など技能的な能力が有れば、相応の仕事を親分が世話してくれる。

 それら業の中でも、火消など、度胸も必要とされる仕事は、成らず者の中でも、花形の業ならしい。

 他にも、小商いとして的屋や屋台、売り子(声を出して、物を売り歩く業)が有ったらしい。

 火消などの集団では、主に『組織的にも家庭的な単位の複合体』を形成しており、今時代だと会長的な地位が当時の組長に該当するのかと想える。

 その火消は、火の中へと入りこむ事から、度胸が求められる業でもあり、木造が多かった時代において、火事が広まらないようにと働きかける重要な役割を担っている。

 現在では、水や消火器で鎮火するが、当時だと火が燃え移らないようにと、周辺を取り壊すなども行っていたらしい。

 日本国では、昔から『地震、雷、火事、親父』と言われるが、地方によって異なるらしく、最後の『親父』と記される部分は、「台風を意味するとの説」や、津波など、別の言葉に置き換えられたりもするらしいが、それ程に火事も怖い出来事とされていた。

 日本国古来からの家の造りでは、その素材などから現代の家よりも、引火し易く、更に燃え移り易いので、周囲の家までもが、全焼する事も有ったらしい。

 特に、江戸時代などの首都的地域では、家が密集するので、燃え移り易く、大火事に成る事もあり、それ程に恐れられた火事へと向かって行く男の度胸が、唯一に気の荒い性格でも、受け入れられた業だったのかと想え、今時代に至っても落語などで物語られている。