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自分が警察官ならば

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 平成19(皇紀 2667;2007)年08月01(水) 09時31分

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自分が、警察官ならば

 私は、警察学校へ、行ってないので、警察の行為による、根本的な意味合いの理解は、無い。

 しかし一般人としての感覚で、それ迄の人生経験から察すると次のような事が考えられる。

悩むこと

1.正義とわ?
2.不法行為者の存在と、自分の存在
3.自分や同僚の不当的な行為

 主に、上記の三つが誰でも想い付くような、内容なのでわないでしょうか。

 でわ、その「悩み」を解決してみる!

1.正義とは?

2.不法行為者の存在と、自分の存在

 法律を守る事が正当であると言う事実等は、大抵の人が把握をしており、悪党までも、そのことを十二分に把握している。

 しかし不法行為者が居ることが前提で自分の存在が確立されていることを思い知らされる。

 更に、犯罪の減少なんて、ありえないのでわないのだろうかとまで想うのでわないだろうか?

 そう悪党も人間であって、過剰な正義感にて人を人とわ想わなくなる。その現象は、不法な行為者にも言えるのでわないか?

 なぜ犯罪行為を楽しく感じるのか、常習的に犯行に及ぶ理由は、なにか?

 そして、その様なことが解った結果・・・。

 警察行為が刑罰を前提とした論理的抑制力を確立される為に存在をしており、その為には、犯罪者の検挙率を上げ、Patrolなどの活動にて不法行為予備者の行動を牽制する為の存在が、警察官である役目である。

 実際に犯罪行為を減少させると言うならば、生活環境、心理などを十分に把握し、それらを踏まえて、自分に何ができるのかを問うならば、正義を心底考えるなら、警察行為が正しいとは、限らないと解るはずである。

 人は、次々に新たに生まれ、零から物を学ぶ。

その過程において何だかの支障が発生すれば?

 皆さんの人生が、それで良くても子供達は・・・。

3.自分や同僚の不当的な行為

 警官も公務が終われば只の人である。公務が終わった後にまでも性犠牲を求めると言うのは、どうだろうか?

 しかし、だからと言って不祥事が発生すれば、その信用性が、一個人としてでなく全国警察官として、疑われることになる。

 じゃぁ~それに見合う給料や生涯の保障等を与えているのかと言う点でも、大いに疑問だ。

 何かしらの代価を求めても当然であるのが、人の心理でわないだろうか?

 そうした代価心理が、「○○ぐらいなら」と言う真情が脳裏をよぎる時に・・・。

 かといって、自分を抑制し、かつ同僚達を、善意者の如くに、論理的に抑制するとしたならどうだろうか?

 志は、代価的に考えて換算することができる。

 むしろ、そうして対応するのが現代的な解決の方法では、ないだろうか?

 そして、それに見合わないようであるならば、自分の為に、その職場を離れることも検討するだろうと想う。

悩み引き金を引くぐらいなら・・・

 そこの場から離れることを、なぜしなかった?

 他人を救えても、自分を救えない。他人へは、正義を主張しつつ自分にわ正義を主張できない。

 警察官は、まず自分の身心を守るべく自衛の基礎を把握し、その基に志を築くことが必要だ。

 引き金は、自分だけでなく、相手に対しても同様である・・・。