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労働力が過剰?

Yahoo!Blogs からの移行。

投稿日 2009/3/12(木) 午前 9:50

ファイル 4497-1.jpeg

働く場所が無い?

 労働力が過剰と成っていると言う状況では、
つまり」、雇用の枠が狭まっている事などを
意味しているのかと想われる。

<参考 YahooNEWS>

なら・・・

 どうして日本の民は、雇用されることにと
拘ってしまうのだろうか?

 無ければ造る!

 これは、人として未来を見出す基本的な、
欲求なのかと想われる♪

しかし・・・

 求めていない物が出来る事もあるのが、
現状でも有る!

・・・(。-`ω-) ん~♪

結論

 人として『生き(活き)』ながら、Robot
(ろぼっと:もともと、労働をする機器を
意味するらしい)みたいに生活をするのは、
真意での自由(つまり日本国憲法が求めると
言う事を許した範疇とされる、『自由』)を
不当、不法に拘束していない無いだろうか?

 職業選択の自由があっても、自営業などで
展開をする方法を知らないなど、自活的なる
活動意識を阻害することで、その知識、能力
などの欠けるのだから、相応の技能が有ると
される人員に雇われる・・・それが現在での
雇用なのかと想われる。

 しかし、真意での技術を提供すると言った
労働では、医者、看護士、弁護士、公務員、
教員、庭師、建築技工士など色々な専門性を
追求しつつ、その技能を修得して提供をする
人員も居る。

 また持って産まれて、それまでの人生にて
培った個人の性格や、体質(能力など)で、
その当人が望む職種的で、人格的に受け入れ
ると言うのが難しいともされる部分も有ると
言う場合も有る。

 手塚治虫の漫画で『BlackJack』があるが、
無免許医でも、その技術が世界的に認めると
される医療技術を有していたりする状態は、
漫画の世界に拘った内容でも無く、現実にも
医者に限らず、Amateur(あまちゅあ)との
観点で、あらゆる分野で活躍をしている。

 では、なぜ専門的な資格が必要なのかと、
言うならば?

 資格を設定して、その資格を有した者にて
展開される活動に、相応なる責任を課すると
言う為にあり、逆に責任を負えない人員が、
善意を根底に活動を行なっても、その技能が
無いが故に目的を達成できるとの保障も無く、
また、活動者本人を含めて、心身、生命等を
危険にさらすRisk(りすく)を、高くすると
言うだけに留まってしまう場合も有る。

 水地で、溺れた人を救助しようとしている、
『救助能力の無い一般人の意思と行動』。

 逆に、相応の資格が無いのだから、それの
責任を免れると言う事も有る。

 それらの基本的な観点を、押さえつつも、
勤労を考えるならば、どうか?

私の観点から言う、勤労とは?

 人として存在を維持することも勤労である
と私は、考えている。

 それが犯罪者であれ、何であれ、人として
産まれ、それを維持すると言う責任を生きて
いる限り、継続する事にもなるのだから・・・。

 だからこそ、『生きているのが辛い』等と
言う人も居るのである。

 ちなみに、そうした観点で人の心を耕すと
言うに値する職業を担っているのが、之まで
だと宗教だと、相場が決まっていたのですが、
科学的な分野で、人の心理が学問的に追求を
された後に、『Counselor(かうんせらー)』
となる分野も登場する。

 その必要性と重要性は、かなり貴重とされ、
本来だと、家庭(親戚を含む)、友人、知人
などにて相談を行なうと言う行為も自然的な
Counseling(かうんせりんぐ)になっており、
好意を抱いている人との会話だけでも、その
効果は、心身共に向上する。

 さて、雇用の場が無ければ、雇用の場等を
耕す必要も有るのかと想われる・・・。

・・・(-ω☆)きらぁ~ん♪