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衣食住の確保 その1 住と行動範囲

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投稿日 2006/9/14(木) 午後 0:42

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 人として、生活する場を確保したいとするのが、
本能でもあるのですが、どのような場所を生活の
場とするかは、個人の感覚によって異なります。

 浮浪者の生活の場は、通常の人達よりも意外に
広いのかもしれませんね。しかし、特定の地にと
住み着くとなれば、極端に行動の範囲が狭くなり、
周辺の人々からも、嫌われる存在となる。

 さて、私達人間が生活の場を確保したいと言う
欲求を満たす為には、どうすれば良いのでしょう?

 基本的に衣食住の欲求を満たす為には、労働や
何だかの融資、支援、援助などを受けてることで
衣食住を経済的に消費することになります。

 つまり原点としては、収入を考えると言う事が
もっとも重要な観点となります。

 NEETなどは、別名で”EconomicFamilyParasite”
と言うような形で表現ができる。日本語的には、
「経済的な家族への寄生」である。

 日本古来からの言葉で”穀潰(こくつぶし)し”、
”べらぼう(穀物を潰す掏(す)り棒)”などと
して表現された言葉で、”遊び人”などと言った
言葉で、現在でも表現されています。

 しかし生物学的に考えるならば、生命体が生きる
手段として、どのような形式での選択するのかは、
その生命体の固体の判断に委ねられている。

 ところが共存と言う観点を考えるならば、それが
規制されるということにもなる。それが規範と言う
言葉で表現されている。

 規範を元に、人々が共存をし、個人主義であれ、
独裁、悪党、善人、宗教、思想、共和、民主などを
含めて”共存”と言う言葉には、理解力と奇抜的な
発想が必要となる。

 つまりは、敵対するRival(らいばる)の存在を
維持しつつ、自らも向上しながら存在して行く方法。

 住居を維持すると言う観点は、動物的に考えると、
自らの生命を維持保守するための生活環境を得ると
言う意味もであり、そうした場所を確保する観点が
自己の自衛的概念にも繋がる。

 微生物のように、小さな生物が自由に水中などを
動き回る風景を見て、憧れる人も少なくないけども、
人体との比率を考えると微生物にとって、それらの
世界がどれほどの広さを意味しており、どのような
感覚で生活をしているのかを推測すると、意外にも
その範囲が狭いと言うことが、解るらしい。

 渡り鳥も、その行動範囲が広いとされているが、
結果的に、移動距離があるだけで、実際に行動等を
する範囲を測定すると、たいしたことが無いのだ。

 つまり、東京都の範囲だけで暮らしている人と、
New Yorkに出張している人の行動範囲を考えてみる。

 東京都の範囲は、意外に広い。しかし、東京都と
New York間を移動して仕事をしている人は、移動の
距離が物理的にあっても、飛行機や船などの特定の
路線を行き来しているにすぎず、自由に移動などが
できない不自由が存在する。

 それによって生じる不自由と一見して狭い範囲を
自由に移動できる者とでは、やはり、物事が違って
見えてくるのです。

 東京の職場と、New Yorkの職場、又、その近辺で
楽しむ娯楽程度の範囲と、東京都の範囲内を自由に
動き回れる状況とでは、実質的に東京都の中だけで
暮らしている人の方が、広い活動場所を得ていると
言えるかも知れません。

 何を持って価値があるとするかわ個人の生活観や
生活状況によって異なりますが、物理的な判断等を
するならば、決して狭い範囲で行動をしているとの
人だって、劣っているとわ限らないと言うことです。

 宗教信者の多くは、狭い範囲にて生活をする事を
強いられますが、瞑想や空想によって、無限に近い
範囲を得ているとも、言われております。しかし、
物理的に、それを表現できないと言う観点において
Einstein(あいんしゅたいん)でさえも、数値等を
導き出す基点さえ見出せなかった。

 皆さんにとって必要となる住む場所と行動範囲を
手に入れて、それを維持すると言うことが、自衛の
概念に繋がるのかもしれませんね。