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個人尊重の限界

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 個人の尊重における限界は、どのようなものだろうか?
共存的意思の基でなされる主張は、可能かもしれないが
他者の人格や尊重を侵害するような場合、個人の尊重が
認められ難いとなる。

 でわ具体的に、どのような所に一線が引かれるのか?

 夫婦の間であっても、お互いの生活空間が異なるのを
皆さんは、理解しているだろうか。それが例え親子でも
同様であって、一見して親密な家族の状態であっても、
それぞれが感じている空間の感覚は、異なるようです。

 ”共感”と言う言葉がありますが、共感があっても、
それぞれが感じている物が異なっており、偶然に一致を
しているかの如くの感情によって生まれるのが共感でも
あります。

 映画を見ていて、悲しいところで家族で涙を流しても、
”悲しい”と言う点でわ共感をしても、後にそれぞれに
その場面での感想を話し合ってみると、感情が同じでも
見ている視点や、感覚の違いが、親子や夫婦であっても
異なる点が良く解る。

 つまり人間とわ不思議なもので、限られた勘定に対し、
多くの情報を基にして、各幹事方の印象を抱くのですが
意外にも、それらの感情が限られていることもあって、
無関心と言う状態を含めても”喜怒哀楽”を原点にして
多少の強弱がある程度だと、気が付くと思います。

 そうなると”個人の主張”に対して、家族内における
限界は、「周囲の家族に不快感を与えない程度」である
と言えるでしょう。

 御父さんが御風呂上りに裸で部屋の中を歩き回るとの
状態を許す家庭もあれば、許されない家庭もありますが、
権力的な意味合から嫌がられても、それに動じないなど
過程の様子も色々です。

 又、夫婦で同じ布団の中で日々寝る場合においては、
離婚率が高いと言う科学調査の結果が出ているのですが、
それにおける原因も、自己主張が始まった場合において
それを相手が容認できない場合には、相手の存在などを
とても受入れがたい真理に陥り、行動的にも避けたりと
してしまうのです。しかも、同じ布団で寝ている場合は、
その一時的感情から逃れる事が難しく、継続的に険悪な
感情を抱くことになる。

 ちなみに離れることにより、相手の自己主張と自分の
空間を一時的に切り離し、自己の心理的空間を守りつつ、
自分の落ち着く場を確保できる。つまり、精神的安定を
維持できる場所を確保できることにより、自らの人格が
保護されるのです。

 さて夫婦と言わず親子でも、そうした現象が見られて
おりますが、例外や特例などもあり、これもまた様々。

 Petを飼っている人なら解るかもしれませんが、犬等も
ちゃんと自己主張をしており、独特の主義、主張なども
しますよね♪

 自己の生活や、それに纏わる人間等により形成される
人間関係との間で、主張される物事が双方にわ共存的で
常に恒常的な内容であれば、良いわけです。

 この現象を個人にて記載をしていますが、実際には、
国家間や、生物学的異種生物との関係などでも、同様に
言える事であって、軽視できる問題でないことも理解を
する必要があります。

 近年では、宗教や個人の思想を基に形成された国家が、
その主権者たる”人物(神、仏の使いと言えど、所詮は、
人間である)の発言”によって、一般民衆の生活などが
脅かされることも古来より多々発生をしている。

 こうした点を考えると、個人主義だと言えども、その
主張のあり方によっては、多くの人との人間関係により、
形成される共存的な内容であることが、暗黙の了解にと
値することであり、それらを規範として定めているのが
古来からの宗教や慣習だとも言えるかもしれませんね。

 ”個人主張の限界”について解りづらいと思うならば、
飼育しているPet(ぺっと≠”おなぺっと”を覗く)の
身になって「もし自分が、家で飼われている犬だったら
どんな主張が可能で、どんなことが不可能だろうか?」
などと考えてみると、意外に解りやすいかもしれません。

 さぁ~、貴方は、犬ですよぉ~♪

はい、御手! お代わり! はい、ちんちん♪ 

 ・・・ズボンは、脱がなくて良いから・・・www

(∇〃) .。o(って、過去に言われたことがある♪)