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本当に、自由を求めているのか?

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投稿日 2006/12/2(土) 午前 11:19

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 自由を求めているのでわなく自己都合の理想の追求が
本心なのでわ無いだろうか?

 自由とは、自由でありながら不安定でもあり、均等な
Balance(ばらんす)力などが求められるのですがぁ~、
その均等性能力をもとないと、自由なんて得られません。

 ところが自由を求めている人達の主張を追及すると、
その殆どが、只単に自分の理想的な生活を求めていると
言うだけであり、その現状の足枷となっている部分から
逃れたいが故の”自由”である。

 つまり、特定の規定から逃れたいだけの主張であり、
それ以外のことが自由であることにすら、気が付かない。

 比較的に未成年者などの若者は、自身の都合よく物事が
行なえず、また法的にも規制されていることに抵抗などを
感じる者達が多い居のですが、それわ間違え!

 人間の可能性の観点から見れば、法的に規制されている
部分は、人間行動の一部であって、それ以外が自由である。

 既にほぼ自由でありながら、生まれ持っての本能により、
自己をControlできずに、社会的理性観念の低い状態による
主張に過ぎないのが、未成年者達の主張である。

 でわ大人の不自由さに付いては、どうでしょうか?
家庭や育児などに仕事などと、自由な時間を拘束される。

 一日が24時間で、その内の8時間を睡眠時間とするなら、
残りが16時間で、その内の10時間を就業に費やすなら
6時間が自由の時間となる。

 しかし就業の時間(通勤を含む)で、もし自分理想的な
仕事であり、時間を費やすことに惜しみを感じないならば、
その時間までもを人生の理想的時間の消費と考えるわけで、
就業を人生の苦痛だと少しでも感じる人達より得な人生を
日々過ごしている事になる。

 例えば義務教育で費やされる時間を、苦痛を感じる人と、
それを自らの好みとして転化して取り組む場合では、後の
効果も大きく差が出る。なかば暗黙の強制力があり。その
強制力から逃れられない状況で、それを否定するからこそ
苦痛なのであって、それを楽しみに変化させてしまう。

 性格などにより、苦痛などを快感に感じる人も居るが、
それらのように、持って生まれての性格等でなく故意に
人格を自らが操作することが求められています。

 自由と、理想追求の違いを御理解いただけましたか?