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自らの人格を保護する

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投稿日 2006/9/19(火) 午後 3:33

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 自らの人格を保護できなければ、自分自身が精神的に
壊れていってしまうし他人の精神や身体を破壊しようと
無意識に活動をしてしまったりする。自傷行為などでの
原因としても挙げられています。

 格闘技などでは、”自らの精神や肉体を虐める”との
印象が強いのですが、実際にわ訓練であって、それらの
訓練を乗り越えられなければ、実践的にも心身などが、
耐えられない場合が多い。

 人格と言うのは、自分の身体と精神を結び付けている
物であって、それに支障が生じると身体的な障害等にも
発展してしまう。

 これらの点は、考えるなら”個人主義”と題する場合、
基本となるのが自己の自衛であり、それにおける訓練も
必要となるかと想われます。

 自らを守る概念の基本は、自分自身であると言う事が
自衛の根底になりますが、それにも限界があるのも事実。
でわ可能な限りを自衛にて対応しつつ、自己を確立させ
それにおける人生の結果が”個人主義”として認められ、
「個人の勝手気ままな生活」だと時として他の人に対し、
侵害を行うこともあり、それにおける結果から争い事が
生じるようであれば、”共存的個人主義”とならない。

 まず自分自身が、心身共に健康であって健全な行動が
できる為の訓練をする必要がある。

 そう”訓練”と言う言葉がある以上、それらの試練が
あるわけですが、それらを乗り越えなければならない。

 逆に、それらの試練に対して耐えられなければ現実の
社会でも健全なる国民としての地位を得ることが出来ず、
それによって不健全なる活動を行う事に繋がってしまう。

 ”訓練や試練”などは、易しい事でわないのですが、
それらを経ない限り、自らの健全性を維持できないとの
状況では、常に危機たる状況に陥ると言う危険性をも、
人生に課せられてしまうことになる。

 そうした状態において、人格が確立されていないなど
障害が生じていると、自分の人生にとって有益な行動を
選択できないのである。

 自らの人格を守りつつ、その人格と自己が共に成長を
遂げてゆくという過程において、日々学ぶことが重要で
更に、自らの知ることとなるのです。

 とわ言うものの、自分の人格として認めたく内面等も
あるのが事実なのでわないでしょうか? その場には、
相応しくない人格でも、他の部分でわ大活躍をするかも
しえませんね?

 適材適所の人格を当てはめて、自分に有益なる行動を
選択できるように、心身共に訓練などが必要ですなぁ。