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生命の危機を感じると人は、妄想や迷信で免れようとする?

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投稿日 2008/10/11(土) 午前 2:26

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・・・Σ(・ω・ノ)ノ っえ!

 暴走や、混乱、発狂なら解るけども、
妄想や迷信と言うのは、理性の内にと
含まれるのか?

軍事でもよく有るのが・・・

 妄想(つまり思い込みなど)により
見方に誤射をする事がある。

 これらは、究極の緊張感から周りの
全てが敵だと認識して、あらゆる物を
破壊するのであって、基本的に錯乱と
されている。

 よって理性には、程遠い・・・w

『よろFiling』だと?

 集中力と言う観点で自己との勝負と
なるのが一般的である。

 その時に唯一に免れる方法は、想定
されている危機を回避する為の想像で
あって、その手段を逸早く解析できた
と言う場合には、安堵を得る事となり、
つまり危機感から免れることとなる。

 その危機感を受忍度から超えると、
自衛本能から、全てを破壊することで
自らを守る(これは、Terrorismでの
発想原点にも類似する)行動を起こす。

集中力と信念

 信念は、人をどこまで覚醒するのか?

 この課題は、既に自爆Terrorismで
立証をされている程に、危険である。

 日本でも嘗(かつ)ては、大日本
帝国時代に、『自爆攻撃』を訓練した
ことがある。

 平然と、そう言う教育を行なった
末裔が現在でも政治圏などで利己的な
活動を行なっている。

 愛国の名の下に・・・不当、不法な
行為も平然と・・・(。-`ω-) ん~♪

 さて、愛国と言うとやはり似非愛国
主義者がおり、その刑罰も不思議と、
事件内容によってかなり温情されると
言う事が解っており、何の為の刑法か
時として不明になる場合もある。

 今のところ解っているのが一般人の
解釈で『殺されて当然』と評価などを
される事件の犯人は、温情率が高い。

 逆に、比較的に同じとされる被害の
度合いでも、一般人が『死刑にすべき』
と想われるような事件は、死刑になる。

 ・・・そもそも法規制の酌量部分が
あまりにも幅が大き過ぎる点も問題!

でも、結果的に集中力が勝負!

 自己の生命の危機的な状況において、
結果的には、自己の安全を確信すると
言うような状況にならない限りでは、
結果的に自爆的な行動をする者もいる。

 旧日本兵が一人分の塹壕(ざんごう)を
掘って、そこに隠れて攻め入る敵兵を
迎撃する手段があった時に、渡された
Rifle(らいふる)の玉が、数発だった
ことも有るようです。

 その状況から、敵の侵攻が始まって、
弾を撃ちつくし新たに弾を入れようと
手に弾を持ちRifleに込めようとしても
震えて、弾が込められない。

 あせれば、あせるほど・・・。

 端から客観的に見ると間抜けである。
その評価を人は、情け無いと言う・・。

 更に、Normandy(のるまんでぃ)の
上陸作戦では、米国軍営も大きな被害を
出している。

 その時に敵に被弾した兵士が、自己の
飛び出した腹部の内臓を、両手で抱えて
慌てふためき、抑えても出てくる内臓を
落として、自分で踏み潰しつつ、倒れた
と言う姿を目の当たりにしている同胞や、
片足、片腕を抱えて、取れこんでいると
言う兵士もいたらしい。

 その時にMorphine(もるひね)などが
使われ、それこそ妄想を・・・。

交通事故や、天災でも・・・

 ・・・多くの悲劇が生じている。

 近年のTerrorism活動で言うところでは、
世界貿易CenterBuildingの倒壊において、
そ倒壊する前に、救助に向かった消防士
達の頭上に落下してきたのが・・・物で
なく人間であったと言われている!

 高度の上空では、強い風が吹きつつも、
飛行機の衝突による爆風や気圧の変動で、
外にと放り出されるのである・・・。

 さて地上から何Meter上になるのか?

 交通事故でも、衝突事故の場合には、
その車両を放そうとすると、それ以前に
付いていた搭乗者の足が身体と分離する
などと言うこともある。

 私は、以前に近所にあった解体屋との
付き合いが、中古車部品を扱う関係上で
少々あって、その解体屋が事故処理等も
請負っており、その関係から、実務での
事故処理が、どのように行なわれるかを
はっきりと教えてくれた。

 既に車両に身体が無くても、自動車を
引きあげると大量の血液が流れ出して、
時として内臓までもが・・・。

 関係者は、そうした状況を「今日は、
『もつ』付きか?」などと冗談的に言う
らしい・・・

|電柱|ヽ(_ _|||)))) おえぇぇぇ!!

 一般の多く人は、そうした取り返しの
付かない現実になって、後悔しつつも、
恐怖に怯えるが、その実状に慣れた人に
言わせれば、『自衛力の無い愚か者』と
むしろ軽蔑をされるのが、真意での人情
なのかと想われる。

 一般的には、介護を必要とする身内に
虐待をするという行為が、逆の立場でと
発生したら?

 恐怖と助けを求めつつ、それを肉親に
心底から拒否をされる状況・・・。

 実は、介護でなくても何だかの理由で
長期入院が強いられ、家庭の者によって
形成される介護に付いて誰しもが苦痛に
感じていた場合、臨終の時に相手にと、
伝わる気遣いは・・・。

「早く死ね、大丈夫、寝なさい・・・」

 っと言う心境になるのも、実のところ
客観的には、むごい話だが、当事者達に
すると、当然に生じた心境なのである。

 それが人であるが、体験をしないとの
言う多くの人々は、想像すらもできずに、
実際に、そうした場面に直面して多くの
残念を生じるのである。

さて、危機からの回避であるが・・・

 臆病な奴ほど、生き延びる・・・との
法則を知っているだろうか?

 逆に無鉄砲に敵に立ち向かう人格は、
基本的に人命消費的な性格であって、
集団的な利用と言う意味で、人命消費型
と言えており、どのような場面でも、
一番Riskが高い部署を選び、活動をする
人格もある。

 そうした人員を上手に使うのは、むしろ
暴力団方が長けていることを、一般人達が
知らなさ過ぎる。

 暴力団や、犯罪集団の人員の多くは、
能力者であり、それに長けているからこそ
継続して、不当、不法行為を行いつつも、
その取締りを免れるのである。

 そうすることで、負義なる技能的なる
優越感を得られるのだ。

 なので、時として重悪犯罪者を尊敬する
輩もおり、その理由が一般と異なる観点で
物事を見ているからで、そうした事情等を
只単に排他してい状況からも、理解すると
言うようなことができない人々が、被害に
合うことが多い。

結論

 あらゆる危険か免れる為の知識だけでなく、
相応の訓練が求められる。

 先に例にあげた塹壕に篭った兵隊だが、
弾を込める事ができても太刀打ちできない
という事が解っての恐怖によって、体等が
動かなくなるのである。

 その時点で生きながらにして死んでいる。

 交通事故などでも同じく、その瞬間等を
Slow(すろー)で感じると言うが、只単に
神経が極限的に集中して、Slow的に感じる
だけであって、その瞬間に回避方法などを
考えられ、実行が出来る人が自己を救うと
言う事ができるのである。

 尚、この事故における自己診断的応対は、
RoadRace(ろーどれーす)の選手であれば、
必須となる科目であって、転倒の方法や、
転倒後の自己診断などを競技の予備知識と
言う形で学ぶことになり、私も・・・w

余談

 女性は、月経の関係から、相応の教育を
受けていないと、かなりの衝撃を受けると
言われている。

 しかも自分が流血している状態なのに、
親が平然としている状態が、むしろ脅威に
初期の段階で想うらしい。

 男性には、理解できないとされているが、
現在だと性教育なども進んでおり、そうした
状況は、回避されている。

 人は、人でありながら己を知らないとの
解釈が致命的な状態であり、多くの人が、
『知らぬが仏』との人や、『触らぬ神に、
祟りなし』などと解釈をして、遠ざける。

 そして挑戦者を時として大衆が、馬鹿者
扱いするのであり、それを聖書だとNoahの
箱舟で、戒めている。

 ちなみに仏教では、欲する所の危機にて
回避を戦略する戦略などを算段することが
多いとされている。

 聖書系の宗教では、Knightに値をするが、
仏教徒自身における殆どが、つまりKnight
であることが多い。

 受動的である場合には、忍耐や身体での
耐久を訓練した自信の証拠であり、攻撃を
防御するなら相応の防御力ある証拠である。

 聖書系には、人為的な役割分担があって、
基本的に自然との調和により非力に生きる
ことが好まれる。

 仏教だと与えられた条件下で生存をする
と言う事が求められる。

 Islam教などでは、過酷な極地にて生きる
ことを学びつつ、人の心理が飢え渇きにて
生じる自己の心理を把握する事で、他人に
及ぼす影響などを知る為に、Ramadanがある
と解釈をしており、仏教でも類似するとの
判断をしている。

 そして禅や瞑想は、想像のSimulationを
訓練しているのであり、その発想における
判断にて、あらゆる危険から防御されると
言うことを想定して、独自に検討ができる。

 そして『無』を求めることで、むしろ、
『無』になれない己の状況や人格などを、
把握して、その人格にあった回避行動等を
行なうことが求められるのである。

 つまりは・・・。

 生き残りの戦略論である・・・(-ω☆)きらぁ~ん♪