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皆さんにとって、法律とは?

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投稿日 2008/8/15(金) 午前 3:41

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大前提

1.法律と規範

 法律とは、規範の一部であり規範とは、人の行動を
規制した部分であって、共存的な観点からも必要だと
される行動規制や、理想などを意味する。

2.法律と法則の違い

 法律は、人が設定した規則であるが法則に至っては、
自然の摂理から形成をされている。

 しかし人類規模で求める所は、法則の如くに規範が
守られたら、どんなに幸せな日々を暮らせるのかと、
憧れを抱いているのも事実である。

3.宗教と法律

 宗教も規範の一部に入るが、法律で定めるよりも、
更に制限をされた環境で生活を強いられる事となる。

 但し、既に設定をされている憲法、並びに配下での
法規制を逸脱した、宗教上の活動や信仰に、不当なる
活動や、不法な活動などは、日本国内で認められては、
いない。

 よって日本国の憲法や、その配下の法規内容などを
守れない宗教は、倫理上で、存在をして居ないと言う
ことになる。

小前提

1.一人でも規律が必要?

 習慣と規律は、似ている所がある。しかし、妙なる
習慣だと、問題視をされる。

 個人の暮らしにおいて、適切とされる行為などを、
習慣にする事が良い事であって、後にて文化を営むと
言う観点(家庭を作る)と言う観点では、家訓などと
言う家庭独特の規範にと、展開することもある。

 よって個人の生活においても、良き習慣が後にて
規範となることも有る。

 しかし、規律と言う意味合では、どうだろうか?

 色々な宗教にて自己に課する制限を多くする事で
精神的な負担をまして行く事がある。

 その制限が厳しすぎると、自己の心身を傷つける
ことにもなってしまう。

 ところが、自己の身体を健康に維持すると言った
観点では、悪い習慣を改めたり己の行動を規制する
必要がある。

 そうなると、やはり自己に対しても規律などは、
必要となるのかと想われる。

2.家庭には、規律が必要?

 家庭は、文化を営み、育む場でもある。

 人の命は、永遠でなく、異なる人々達が出会い、
御互いの遺伝子を欲するかの如くに、愛を形にと
変えて行く。

 人は、個々に独自の文化間を持っており、日本の
文化的には、一見して男性側に主導権があるのかと
言われていたが、意外にも家庭の主婦に主導権等が
あるのが一般的であって、男性側に主導権があると
言う場合には、世間一般でも相応の地位にあるとの
言う男性に限られているようである。

 此れによって、夫婦や子供、祖父母等と共同での
生活の場が誕生をするが、その中に法律は、必要に
なるのだろうか?

 現行の日本国では、結婚の開始から離婚、家庭の
増員などに至るまでも、民法などにて設定をされて
いることからも解るように、家庭の人為でも紛争が
生じる可能性があって、それらを法規にて予めにと
設定をすることで、紛争を避けている。

3.家庭での宗教の自由

 日本国の憲法・第20条「信教の自由は、何人に
対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国
から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはな
らない。同条第二項、何人も、宗教上の行為、祝典、
儀式又は行事に参加することを強制されない。同条
第三項、国、及び、その機関は、宗教教育、その他
いかなる宗教的活動もしてはならない」との定めが
ある。

 万国共通であるが、家庭内にて親が進行をしてる
宗教を子供に押付ける場合もある。そうした行為は、
違憲的である。

 更に宗教上での色々な活動に対して、参加などを
すると言う場合には、強制をされないと定めている。

 そして国民として大いなる疑問があって「国及び、
その機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動も
してはならない」との法が有りながらも、宮内庁で
行われている色々な儀式は、どうなるのか?

 しかし私は、宮内庁の管轄に関係する人員では、
ないので他人事であるが・・・www

結論

 私のとって法律とは、己の人体の健康と、他人
などとの共存性、広くは、他生物の共存性などを、
追求して、必要とされる行動制限である。

 私の調べた所では、宗教を信仰をするよりも、
まず憲法、並びに、その配下の法規を守る事での
日々の生活の方が、よっぽど幸福であるのかとも
判断をしている。

 更に好ましくない展開ですが、不当、不法行為
などでの利益と言う観点で、法規を把握してない
また、その法規が設定をされている理由などを、
十分に理解がされていないば故に、防御的能力を
有していない為に、被害を受ける事がある。

 つまり法律をむしろ理解してるのは、不当なる
行為や、不法行為を行う輩達の方である場合等が
多いのであって、その知識に乏しい国民などが、
被害を受けている事となる。

 刑事罰における設定は、その刑期を終えた後に、
一般の国民として、広く世間に受け入れられると
言う事が前提になっている。

 つまり、被害者による報復を代行すると言った
趣旨で無く、世間一般的に後に共存的に受け入れ
られる許容条件を設定されている。

 しかし、事件の内容によって、余りにも残酷な
犯行を遂行した人員には、世間一般人としては、
既に設定されている刑罰を課しても、許されると
言う訳に至らないと判断された場合には、死刑が
課せられるのである。

 私が求める所では、刑事に付いて犯罪の発生が
無い物理的な環境を造ると言う点と、経済的にも
論理的にも、不当、不法行為の無益化と、法規的
活動者に対する有益化を追求することで、刑事の
事件だけでなく、あらゆる紛争が未然に防げると
個人的に判断をしている。

 よって、私のとって法律とは、他人や他生物と
共存をする為にも必要であって、己の心身を自衛
すると言う観点でも、法律が必要になるのかとも
判断しています。

 上記の個人的な発想に伴い、下記の項目二点の
法規制定に纏わる起案Reportを検討中である。

1.国民個々の自衛概念

 憲法・第10条から第40条までを維持すると
言うために、必要な自衛的な能力を国民個々が、
追求する法規を必要としている。

 それは、権利を有していても、その能力などに
欠けている状況では、その権利を執しているとは、
言えないに等しいからである。

 又、不当、不法行為が、どのような心理にて、
発生をするのかを理解して、誰もが不当、不法な
行為者になる可能性と、そうした心理から自己の
行動を規制しつつ、更に他人からの不当、不法な
攻撃を防御する能力を身に付ける事が、自衛との
概念になる。

2.紛争と共存

 紛争は、基本的に利益の争奪などから生じる。

 何を利益とするのかは、当事者同士の観点にて
争われるが、基本的に奪取などが問題点となる。

 経済学での学説では、「土地を購入することが、
投資の原点となる」と言う説と、「株式等の資本
証券などを購入する事が、投資である」と言った
説があり、一般人の説も入れると賭博も、投資の
一部であると判断している民も居る。

 そうした利益の争奪を巡って、紛争が生じるが、
その多くが民事訴訟や各種の訴訟にて解決をする
と言う事が解っており、それを利用しないが故に
刑事の事件にと発展するのが殆どである。

 一般の国民における観点で、「攻撃を受けても
耐えるのか、反撃をするのか?」の二種に別れて
中和をすると言う観点に欠けている。

 又、裁判所で言う中和は、当事者同士の利益を
融和することを意味してるのかと、個人的には、
判断をしている。

 これ等の観点から、司法における裁判所などの
利用を活性化する事で、刑事の事件を減少させる
ことが可能になると判断をしている。

 この上記二点に纏わる部分が、日本国における
国民性として定着したなら、『べびーぶーむ』の
到来となるのかと想われる。

 現代における子孫の誕生は、その殆どが、親の
欲望からであって、新たに誕生をする子供が育つ
環境などが十分に確保できていない状況に置いて、
受胎する事も有る。

 子供達は、それを知らずに誕生をして、後での
人生に大いなる負担を課せられる場合も有るのだ。

 私が現在において取り組んでいる色々な活動は、
将来の子供が育つ理想的な環境を造りる為にと、
活動をしているのであって、それた自己の為にも、
広くは、他の国民に対しても有益であるのならば、
それに挑まないと言う理由は、むしろ無い。

 戦後では、集団を形成して『団塊の世代』等が
政治的な活動を行っていたが、結果的に、どれも
奇形的(結果的に暴力的な表現)で終わっている。

 現行の政治団体においても、利己的であって、
そうした自由競争に揉まれて良き政治政策などが
誕生をするのかと過信されていた。

 しかし私が追求するに、国会議員や各、議員は、
代議士であって、国民の代弁者である。つまりは、
国民の主張を纏めて、そうした代表者が公的にて
集まる会議にて、その意思を主張するのが議員で
ある代議士の仕事である。

 ところが、その特質から独自の思想を主張して
それを指示する人員によって、議会が展開すると
言うのは、『民主』を名称に設定をしているとの
各政党であっても、なんら独創主義に変わり無い。

 そして私が主張をするのは、一人の一般国民で
あっても、法規などを理解していれば、十分にと
公的な場で主張が行え、その権利を剥奪されない
と言う事が、憲法でも、他の法律などでも保障が
されていると言う事である。

 しかし私にとって法律は、攻撃の武器であって
融和戦略の道具に過ぎない。

 又、その論理的な武器が、どこまで通用するか
大いに疑問でもあり、それを追求、研究する事は、
私の人生における大いなる財産にもなるのかと、
判断をしてる。

 融和 My Sunshine 計画

 その武器を紹介したに過ぎないのが私にとての
法規なのである。

あとがき

 現代と言う時の為に戦った者を、忘れてしまう事で
人は、同じ過ちを繰り返すのかと想われる。

 よって、それを戒める為にも、終戦を喜びつつも、
敗戦者の未来に対しても、有益となる現実を与えると
言う憲法を残した、MacArthur(まっかさー)に感謝の
意を表したい。

後日記

平成20年09月09日

 実際の裁判に纏わる書類作成等で記載が遅れました。

 実は、今回のReportは、『三段階論法』になっては、
おりません。

 『何だ!この文章は?』と疑問に想いつつも、その
文面を見る、または、途中で見るのを止める人なども
居るのかと想われます。

 このReportは、発表者が「法律とは?」との課題に
自由に答えている(主張をしている:憲法・第21条)
と言うに過ぎません。

 よって、主張者が「法律に付いて、何を想っている
のか?」などを感じえられた人は、徳だと思います。

 さて皆さんにとっての『法律』とは?