記事一覧

No.45 現代日本の問題を解決せよ

2004-07-13
*======================*
   万<よろずがく>学  Ⅱ  No.45
   インターネット・オンブズマン(☆ω☆)
*======================*
作成 2004-02-26
問題 現代日本の問題を解決せよ

 色々とやる頃も有れば、色々と考える事もある。
でも考え始めると、終わりが無いから困りもの。

 ”学ぶ”と言う課題で、義務教育に関してでの
視野から考えていたのですが、どうも私立幼稚園、
小学校、中学校など、公立よりも私立の学校へと
入学を希望する家庭が増えているそうです。

 確かに、少子化の問題もあり、私立の場合には、
入学における生徒からの寄付金が、重要な収入と
なるので、生徒数の確保は、死活問題に値します。

 又、政府による私立学校への援助等に付いても
改める必要がありそうです。生徒数が居ないにも
関わらず、通常の援助を続ける行為は、無意味で
生徒数を確保できる学校を優先的に援助すべき。

 そもそも、公共の義務教育機関等があるのにも
かかわらず、私立へと任意で進学をさせている。
その点を考慮すると、むしろ”義務教育税”等を
徴収する必要性もあるかもしれない。

 また効率学校に付いても、マンネリ化している
教育構造を積極的に改善する必要があるわけで、
各学校が積極的に独自の課題を持って、研究して
更に、それらの研究成果を発表する場等を設ける
必要がありそうです。

 学校が自ら進化する為の独自の研究を始めると、
例え公立学校であっても、それらの学校数により
多くの情報が一斉に収集でき更に、それら良案を
共有できる、最強の教育ThinkTankができあがる。

 又、公立学校の進展は、子供達の能力進展にも
繋がり、更にそれらが文化的向上をも期待できる
研究へ繋がると私的には、考えています。

 差別化における用件でわ何事においても言える
ことですが、"差別”の領域が社会的道徳の枠を
超えてしまうと、過剰なる闘争によって、大きな
悪影響を及ぼしてしまいます。

 一番解りやすい例題としては『女性のSkirtの
長さ』があって、それらを日本文化的な観点から
遡ってみれば、戦前の抑圧的な父権主義に始まり、
戦後による”女性の社会的開放”から、Skirtの
長さが、徐々に短くなる。それを歓迎したのは、
なによりも女性でわなく、一般の男性人だった。

 その後、社会的な風習の乱れから見直しがあり、
更に、短いのが駄目ならば、いっそ思いっきりに
長くと言うことで、まるで引きづるような長さの
Skiertが登場するが、一般の男性人たちからは、
あまり歓迎されていない。そもそも、Skert等を
履くのは、女性の象徴的として大きな意味を持つ
服装であり、対男性のご機嫌うかがいの為だけの
ものでわない。

 これらSkirtの長さが実は、社会的な現象でも
只短に流行と言った言葉では、片付けられない。

 一般の洋服では、流行というだけで片付くが、
義務教育などでの制服のSkertとなると別枠です。
それは、男性で例えると学ランの長さでもある。

 長いSkert、学ランが禁止されれば、短い物へ。
男性側の場合には、禁止された物の現代社会での
女子の制服Skertは、社会全般から男女を問わず
認められてしまい、それによって更に短い物等も
出現し、男性教師を客観的に喜ばせている。

 女子の女性としての肌を露出した主張などは、
”自らが性的能力を持った女性である事の主張”
でもあるのですが、それらを理解ができていない
後世代には、あや待った認識での自己表示となり、
性的な被害をこうむったりもしている。

 皆さんも中学生の時に、経験が無いだろうか?

 一年生が、妙に決込むと上級生が潰しにかかる。
一年生、二年生、三年生の枠を経て徐々に進化し、
それにおける”潰し”の意味合を必然的に理解を
していたでわないか?

 民主を唱える割りに日本人は、自治、自衛等の
意味合を理解していない。更に自己防衛などでの
意味合すら理解していない事から、自衛隊などの
存在も”軍隊”などといった大まかな解釈でしか
見られない。

 上級生と下級生のシキタリが万年に渡る人間の
絶える事の無い新たなる誕生と、不変的な法則の
如く、変わらない人間の行動心理を、物理的での
対応で、学んで居ることになる。

 時代の進化から、それらの物理的な風習抑圧が
開放されたと言っても、それに伴う論理を新たな
下級生が理解しているかによって、単なる抑圧の
開放に伴う、”氾濫”と言う結果に終わり、更に
社会的な害が及ぼされることになる。

 現代の社会も同じで、女性の社会進出を歓迎し
更に手招きをしている男性陣営の限られた人達の
意外の男性人材は、職場を侵害されている情況で、
悪化をたどる一方。更に、女性側も社会的責任で
今期が遅れてしまったり、場合によってわ結婚や
妊娠を断念せざろえないと言う、女性としてでの
屈辱なる選択を迫れる事となっている。

 男女平等から共同へ変化した時代と言われつつ、
それわ只短に女性の社会意識に対する氾濫でしか
なかったことから、二次的な社会的被害が発生を
していると私は、判断しています。

 これらの例題二点からも解るように、意味合の
ある風習や儀式、及び慣習や伝統的ならわしなど
それらの意味合を一時の世代が解明したとしても、
後に続く世代が、それらを理解できないならば、
社会的な氾濫を呼び起こしたに過ぎない。

 ダムの建設も同様に、台風で大雨量の状態にて
ダムの推量が安全範囲を超えたとの事から緊急に
ダム水を排出する。河川敷にて警報がなっても、
既に振っている大量の雨に追い打ちをかける様に
追流されるダム水で、河川敷一体が洪水の被害を
及ぼしてしまうことがある。

 ダム建設の時に考慮されていたのは、飲む事を
利用することで、自然での環境における条件から
二次的な災害を自ら起こす道具となることなどを
誰が予測し、予めに対応していただろうか?

 教育の改革、「ゆとりの無いゆとり教育」等と
民間が叫ぶが、それらの教育は、誰の人生の為に
分け与えられた行為だったのだろうか?

 そもそも義務教育の存在を現代人がどのように
理解しているだろうか?

 生まれ持っての慣習で慣わしどおりに行なえば、
それで済む。知的な意味合であった慣習の意味が
無になった瞬間である。

 例をあげれば、犯罪等の発生条件や公害などを
含めて、何にでも代入できるこれらの原型などが、
『環境と地方慣習』であって、それらの簡略等が
後の世代に巧く続かない事から、儀式、慣わしと
なって後世代に引き継がれた、物理的規範だった。

 確かに理想は、論理的理解からでの事前による
災害、被害の回避だが、それが行なわれていない
状態は、只の”氾濫”に過ぎないのだ。

 ”自由”だって同様に、法的な規範に捕われて、
自由など無いと主張する思春期の少年達に、更に
追い討ちをかける希望の無い、未来社会。

 法規意外が全て自由であることを教えられない
日本の義務教育に、現実社会の見せ掛けだけでの
法治理論で社会が形成されていた事に、少年達は、
未来社会への希望を失いながら社会へ吐き出され、
世間の荒波と言う不条理なる現実を目の当たりに
するのだ。

 Pandraの箱には、”希望”が唯一の救いとして
残されていたのに対し日本の分化風習、若しくは、
経済主義の欠損により、”希望”すらも奪われた
と誤認している世界経済状態。

 大学での日々の研究成果に関心の無い政治家に、
営利目的だけの日本経済を支えている大企業達。

 そして迎えた高齢化社会・・・。

 世界規模での先進国住民に言える欠損は、未来の
危機管理的予測能力であり、更に産物における責任。
その責任が使命を持って完全に全うすることにあり、
自殺、諦め、退陣、失脚、刑罰などでわなく、後の
人類に課せられた、解決をすることを必然的義務に
課せられている文明の進化を、築いているようにも
客観的に感じられます。

 改善、改革と言う言葉を”社会的氾濫”へ変貌を
させない為にも、今一度、各政党が定義をしている
反論、改善案、評論的意見を、過去の不具合となる
現実を基にした未来への影響を伝え、更に改善なる
案を提出できて、その案に非の打ち所がなければ、
国民の誰しもが認める良案となり、後の政党的での
功績として有益なる選挙を迎えるはずです。

 また大いなる良案に怯む事無く、更なる改良案を
国民へと提示できたなら、それらは、国民の誰もが
認める主権政党の良案となります。

 これらは、『右肩上がりの文化的進化論』ですが、
それらを行なう勇気と希望、冒険心と開拓心により、
それら手本が国民個々へと伝わり、各政党思想での
もとに、それぞれの文化が発展すると言う分には、
万物の神や仏でさえも、非難できない考えています。

 人道的援助活動が、仏教系の物語にある『蜘蛛の
糸』となるようでは、氾濫を意味する。

 気前が言いだけの客観的な援助は、キャバクラ、
ホストクラブで、酔った勢いで不本意に貢いでいる
状態に過ぎないし、それにける問題発生などでも、
まるで例えるに等しいほどの出来事ばかりです。

 Servis業では、良き客が店員を育てます。

 公務もServis業であるなら、それを育てるのが
一般国民であり、その恩恵に税金から所得を得る。

 誰しもが気前よく払う税金を、公務の方達は、
目指して欲しく思っております。

 最後に北朝鮮人民共和国との外交問題ですが、
CaedGameの如く”切り札”論議で、博打をしてる
場合では、ないかと思われます。

 まるで原始時代の物々交換の如くのやり取りに
文明の進化すら感じられません。武器を使わずに
言葉で口説く、外交の手段が好ましいのですが、
冗談一つ公的な場で双方が交わせない状況では、
先進国としてのHost役にわ劣って見えてしまう。

 私の推測では、物資よりも暖かい言葉と共に、
進化なる知識と、その領域を認めることなどが、
相手国への思いやりかもしれません。

 自らが転んでも建ち上がる力は、既にある。
しかし、過剰なる力に怯える日本国に対しては、
どう振舞うのかが、不安点でもあります。

 それらの人道的な支援と言うのであれば、
”日本国としての胸”を貸す思いで接する事が
人情的かつ人道的な接し方なのかも知れません。

 CaedGameでは、人権的な差別を解消できるに
値しないと考えています。

 覚醒剤の如く武装された情況で今となっては、
武器なくしては、外交を語れないまでに陥った
国家を環境的に追い詰めたのには、日本国にも
責任があり、それら同様に日本国内の暴力団の
存在問題も、子供の頃から散々差別した結果に、
皆さんの同期不良が、取仕切っている状態では、
まるで紙一重。しかし差別される側も、社会的
被害を加えた事実に伴う、隔離的な差別などを
悟り理解する事で、学んで欲しかったのですが、
外交などの不備から”放任”に置ける責任等が
問われる結果に至っています。

 彼らの可能性を十分に引出せる更正要件を、
提案する事が双方にとって最大なる有効手段で
物資、条件の交換でわニ国間の溝が埋まらない。

 正義は、悪を産むだけで、規制概念がない。

 そもそも現代の法科大学での学内の様子を
認識を把握しているだろうか?

 違反行為をごまかした、警察権力に融通を
効かせた、セクハラがあっても法的権力にて
それらから逃れられると豪語していたなどと、
現代の法化学部の現状を、知らなさ過ぎる。

 それに代議士と政府交渉とでは、異なる。

 拉致における被害は、被害家族が受けた
行為だが、それらを越権して政府が取仕切り、
日本国として正義を象徴するのわ無理がある。

 代議士足るもの日本の利益より、被害者の
危機からの保護であり、国民の保護にある。

 そもそもの駆け引きとして、むしろ国民に
話題として論議されるが為の行為だったかも
しれませんが、そろそろ時間的に限界です。

 被害者の人生は、被害者の物であり、例え
国家利益の為に犠牲的にするのは、お門違い。

 それらの交渉が本音でないと思われますが、
被害者の意思を尊重することも必要だとも、
個人的にわ見受けられます。

 拉致行為が軍事作戦の一端であるならば、
日本国内の暴力団相手に、人質交渉などを
行なっているとの差ほど変わりがない。

 むしろそれら交渉術を極めてない人材が
関与することは、悲劇を生むに過ぎない。

 時間をかける必要性が確かにありますが、
被害者の人的な心情にも限界があります。

 現在の朝鮮人民共和国の様子は、戦後の
日本国、また関東大震災直後の日本国にも
似ている状況です。

 許される限り、時間を引き延ばしたいが、
被害者による意思にて限界と言うならば、
その主張を尊重するのが、法的解釈であり、
それらを超越した国家間交渉は、物品的な
移動だけで、人の心を動かすに至らない。

 拉致問題が国内の問題として”氾濫”を
発生させる前に、行動する必要があると、
個人的にわ考えています。

*−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−*
☆ 笑いの電動コケ師達 ☆(天使と悪魔の囁き)

万学?的、現代日本の問題を解決せよ

天使 細かい問題を一つ解決すると、必然的に他の
   問題にも関連して着手することにつながる。

悪魔 社会的な問題は、社会がある限り存在するが、
   社会が無ければ、社会問題も発生しないのだ。

HIRO 問題は、研究室で起きているんじゃぁ〜ない!
   一般の私生活の場において発生しているのだ!

◇多くの人を笑わせることを追求◇
コケ師達(応募者)による内容を募集!
皆さんの『題名、天使と悪魔の囁き』を大募集♪
*−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−*

運用

作成・編集 万屋

Web Site(趣味的)
 ・My Blogs
Podcast の運用

MailMagazine の登録、削除、BackNumber

BackNumber
登録、削除

= 無許可で、複写・転載・引用を行う事は、止めて下さい。 =