記事一覧

論理的(精神的)な攻撃と、軍事的な攻撃

Yahoo!Blogs からの移行

投稿日 2008/8/29(金) 午後 11:14

ファイル 8411-1.gif

Russia側(Putin)の主張

 Georgiaにおける分銅問題は、米国における
大統領選に関連して候補者が有益となる為に
策略された物であると主張

 私の判断だと、「それは、理由に付加的に
加わった利益の問題であって、真意の展開と
言う観点では、異なる」との判断をしている。

 しかしRussiaとしての主張(倫理的建前)と
言う意味合いでは、妙に筋を通している。

米国の主張

 米国は、今回での紛争によって、原子協力
協定に付いて、解除をする考えが有ると公表。

 私の経済的な観点からは、特に原子力協力
協定が破棄されても、原子力市場が活性化を
するだけで、何ら国家間における損益が無く、
単にTerrorist達も、市場の活性化に伴って、
原子力系の破壊機器の入手を安易にさせると
言うだけである。

 尚、私が知る限りでは、自国が有益となる
戦線は、率先して行うのが基本である。

 近年での西洋的文化圏では、民達の素行が
悪く、宗教的観点に付いても流行的であって、
倫理性の観点から押さえが効かない状態にと
なっている事が判っている。

 また真面目な民ほど、公共的に貢献すると
言う意思を阻害される状態に陥っているとの
状態に有り、先進国における多くの民達が、
『うつ病』などにと陥ってしまう現象などが
発生をしている。

 その観点では、むしろ倫理性よりも、権力、
暴力、知力、富などの観点から、優れた者が
有益であるとの観点が強く「世界的にも富が
寿命を延ばしており、富は、神から必然的に
授かった物である」との考え方が、Elite層に
あることも判っている。(但し、一般的には、
それが男性的な考えだとも言われている)

私の判断

 両国(Russia、米国)が都合の好いように
言葉の語句をを並べているが結果的に以下の
展開が予測をされる。

1.Russiaは、日露における原子力協力協定を破棄されたくない。
 理由は、対Terrorismにおける観点から。

2.意外かもしれないが、「Russiaは、欧州の経済活性化を真意に想っている可能性が有る」
 近年における欧米諸国の経済事情は、世界的観点から
見ても、悲惨な状態に有る。また、今回における紛争の
後における経済的な展開を予測するなら、欧米諸国にと
有利な展開が予測をされる。

3.Russiaは、Georgia紛争で中華人民共和国を、米国と共同して出抜いた。
 実は、紛争に中華人民共和国も加わっていたとも言われて
いたのですが、結果的に中華人民共和国が間に入ると言った
ことが無かった。

 これは、一見してRussia贔屓となる意見展開となるが、
近年のRussiaにおける傾向で「内部事情に纏わる問題は、
自らが処理する」と言う傾向にあって、国際的な観点で
考えると、戦略論理が全てCover(かばー)されていると
言う状態に有り、真意での戦略に付いて抜け目が無いと
言う展開になっている。

 悪く言うと「ずる賢い」と私は、思っているのですが、
戦いと言う観点では、「賢い」と戦略的には、誰もが、
認めるのかもしれません。

何故か人名消費が公開されない

 不思議なのが軍事における犠牲者の数が表示をされて
いないのである・・・(。-`ω-) ん~♪

 統計における錯覚理論で、人命消費数を提示すると、
一般的には、印象が悪くなると言うこと、その数などを
紛争中に、あまり明確にしない傾向がある。

 しかし私の一般人としての視野では、Soviet連邦が
倒壊した時から、その犠牲者数が極端に少ないと言う
ことが判っている。

 その半面で米国などでは、特定の調査団によって、
軍事紛争に纏わる犠牲者数を公開しているが、政治的
対立があるMediaが、攻撃的に行っている行為だとの
見方が強く、然程に問題視をされてないが、実数的に
あらゆる紛争で、かなりの人命を消費していることが
判っている。

結論

 もっと綺麗に、正統的に且つ倫理、論理的な紛争と
言う展開が、現代の人類における文化として、展開が
できないものだろうか?

 その追求と言う観点で私は、日本国の司法における
民事や行政などの訴訟分野の改善(つまり、一般人が
訴訟を安易に行え、暴力や不当、不法行為より有益で
有ると言う事を追求しつつ、公認紛争となる訴訟での
争いを広く一般に利用できるようにと行政開拓をする)
などに、既に着手をしている。

 西欧的な感覚では、人命も消費物の一つであるが、
当然にRiskの有る環境で生活を行っていれば、相応の
危険が生じるのであり、相応の自衛力が求められる。

 それを把握して、そうした現場で生活をしていると
言うのだから、相応の覚悟が必要であって、そうした
事情を知りつつも、そこで生活をする者は、愚かなる
者か、その環境に適応能力が有る者かのどちらかだ。

 それを客観的に他の者が、惨劇を楽しむかの如くに、
傷心する状況は、むしろ真意で傷心していると言えず、
喜怒哀楽などの客観的な他人の出来事によって生じた
自己の感情を楽しんでいるに過ぎない。

 真意で、危険地にて働く人々や、そうした環境にて
生活を強いられる民を想うならば、何だかの出来事で
悲劇的な生涯の終わりを遂げても、それを感情的にと
処理しないことが人として重要であると私は、想う。

 そもそも、故人が、それを望んで居ないであろうと
思われるからである。

 生前に、極地にて悲劇的な死を迎えて多くの人に、
悲観的な感情を抱かせようと出向いているのであれば、
感情的なTerrorism攻撃の一つであり、電車に飛込み
自殺をするのと何ら変わりが無い。

 よって私は、基本的に「故人を偲びて、その生涯が
極地にて全(まっと)うされただけであり、発生した
惨劇が極地なら、平然とありえる物事で有る限りでは、
その物事を悲観的に捕らえて、故人に対して惨劇での
同情を行わない」と、物事一般的な事情にても、その
心掛けで日常を志している。

 但し、その惨劇を導いた者が私の人生において敵と
なるような相手に対しては、共存性を抱くことが無く、
合法であれ、非合法であれ、時として敵を駆逐すると
言う事は、当然に有るのかと判断をしてるが、現状は、
合法的な行為のみ(但し、非合法でも免れれば合法で
あるとの観点は、今の所だと除かれる)にて、対処を
する考えで居る。

 結論としては、現代人としての私の戦い方の主張を
行ったに過ぎないのですが、民の一人でも、そうした
研究が行えるのだから、もっと研究の材料に富んだと
言う人達ならば、それ以上の事が出来るのかと思って
いる。

 一見して複雑そうな内容も、結果的には、単純だと
言う場合が多い。

 それは、犯罪における殺人も同じであって、物事の
原因が何で有っても、殺人が発生した事に変わりなく、
その殺人行為に「殺意が有った、無かった」などでの
観点で、刑罰の軽重が左右される程度であって、更に
その死刑囚を長年に養うまでに至っているのだから、
私の観点を理解して貰える人は、少ないかと思われる。

 但し、共感者を求めるつもりも無い・・・w

 もっと賢い争い方・・・現代的な争い方を追求する
と同時に、自衛の概念が求められるのかと想われる。