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Georgia(ぐるじあ)の紛争と、NGO邦人の殺害に付いての関連 その2

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投稿日 2008/8/30(土) 午前 1:29

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結果は、直ぐに見える物で無い?

 軍事Missileが、宇宙探索に代用されると予めに
把握され、その進化の為に戦争が発生したとされる
と言うならば、世界中の多くの人が、人間として、
神に激怒するのかもしれない。

 しかし、その激怒こそが、過ちを繰り返さないと
言う為の切欠になるのかも知れない。

 私は、個人的に負儀なる切欠は、それを機にする
と言う事を行わないように心がけている。

 例えば人の出会いでも、目的があり徒歩で移動を
行っている時に、偶然に好みの女性と『ぶつかる』
と言った出来事が生じても、それが交流的な出会い
だと判断しないのである。

 つまり行為目的を持って徒歩で移動を私にとって、
『ぶつかった相手』は、外見や人柄が何で有っても、
行為目的の阻害者であると認識して、軽度の敵意を
抱く傾向に有る。

 その観点からも他人の惨劇を目撃した場合には、
相応の救助活動を必要とされる判断で行うけども、
他者によって補えるなら、急を要さない限り直接に
手を加えないのを、近年だと基本的行動としている。

(∇〃) .。o(行政Serviceの適合活動調査等も踏まえての事だけど・・・♪)

 そうした私の個人的な観点からによる追求では、
安易に今回の紛争と、殺害事件を結果が出ていると
判断できない。

 よって個人的には、更なる結果を一般的な観点で
追求してみたい。

 誰が、利益を得たのかを・・・。

 また、その結果から逆に考えて、犠牲無く解決を
する事が出来なかったのかも追求して、一般の民と
言う感覚で共存の観点からも、有益となる戦い方を
追求して、それを公にする事で、Terrorismにおける
活動の不利益性の立証と、一般の世界的な民にての
観点で言う合理的でTerrorismより有益となるような、
解決の手段を定義したい。

 皮肉にも、私が和解や中和を真意でわ求めていた
民事訴訟において簡易裁判所や地方裁判所の訟廷の
行為から、『公的に認められた紛争の場である』と
教えられ、それを当初否定していたが、今の私では、
それを変える事は、できないとの結果に至っている。

 現状では、まず『公的に認められた紛争の場』と
言う観点で、広く国民に利用されることが第一での
目的となり、刑事、不当、不法行為よりも、訴訟で
争うことの法が得であると言う事を、追求する事が
求められており、それに徹底をしている。

 しかし現状では、刑事、不当、不法行為の代替と
言う観点で訴訟を利用する人員を予測するならば、
比較的に交戦的な輩が集まる事が明確であり、その
観点から、訴訟の当事者と裁判所人員との間にて、
紛争が生じることが判っており、その観点で言うと
二時的に刑事、不当、不法行為が訴訟の当事者と、
裁判所の人員との間で、新たに発生をする事なども
あって、『民による裁判所の存在価値などの観点で、
異常にComplianceが低い』事が判っている。

 それらを解消しつつ、現状にて設定をされている
裁判所の有益性を追求してから、進化と言う意味で
改善を必要とされるのかと想われ、相応の着手を、
個人的に行っている。

 尚、団体的に行う考えは、未来に向けても無い。

私の人生における目的

 自分の生活の場を作り、保ち、文化を営み子孫の
繁栄を喜ぶ。

 その為に当てられた情景は、物的には、全ての
有物などであって、その使用書等に付いては、日本
と言う国に所属をした国民で有る限りは、日本国の
憲法と、その配下の法規などの規範となる。

 法を知るものが頭が善いとか、法学者が偉いとか、
裁判官が偉いとかは、誤信である。

 裁判官は、公務員である。公務員との立場では、
「基本的に民に奉仕をする事を決意して、職業にと
求めた人」であって、公共の機関の属して民に行政
Serviceを提供する者であって、相応の給料などが、
払われている。

 また法学者は、法に纏わる研究や学術においての
教授などを行うもの達であるが、軍隊の士官学校と
同じく、卓上での展開が主である。

 近年だとあらゆる学術分野が実践に基づいて研究、
教授の内容が進化しているが、法学分野に限っては、
その内容が進化しても、研究、教授内容が伝承的で
過剰な判例主義などを展開している。

 私の経験だと、特別抗告、許可抗告の説明をする
と言うために、書記官が学説を引用したり、条文を
電話口で、「ちょっと待って下さい!条文を、調べ
ますから」などと、何の為に書記官試験で、条文の
問題などが定義されているのか、まったくに理解を
出来ない(つまり実用性が無い)情勢の事情には、
嫌気を抱いている。

 現状の私にとって、民事訴訟が『対裁判所』との
紛争に各事件が至っているのである。

 現状だと、国民の信頼性と言う観点(つまりは、
Complianceでの観点)でも、御勧め出来ない。

 ・・・違憲的な存在の裁判所の改善工作が、後に
(つまり、その延長線で)軍事紛争の解決などにも
役立つのかと、現状だと判断をしている。

 ・・・(-ω☆)きらぁ~ん♪

 Allahよ、Al-Qaedaに以下の項目を把握
させていたのだろうか?

1.知なくしてことを難ずる者は、自らの鼻を落とす者である。
2.知は信仰者の導きである。
3.知は3つのものによって完成する。すなわち神への屈従、善なる確信、
 善ならざることについての沈黙である。
4.無知も3つ。傲慢、激しい口論、神の無知である。
5.実に知は錠であり、鍵は問いである。
6.信者が怒りをもつとき、怒りによって彼が真実の外に連れ去られるべきでなく、
 満足しているとき、満足によって彼が虚偽に連れ去られるべからず。
7.無知なるものの振る舞いの類。聞き終わるまえに答え、理解するまえに否とし、
 知らざることを判断する。

 それとも教えが異なるのかな?

 私は、とりあえず項目6を参考にする・・・(-ω☆)きらぁ~ん♪

<上記の項目に纏わる参考Wiki جعفر الصادق>