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Russia(ろしあ)との『天然Gas』における輸出問題

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投稿日 2008/11/21(金) 午前 2:43

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輸出をしない?

 そもそも、Sakhalin1(さはりん1)での事業に対して
日本国からの出資もあり、それにおける観点からでも
日本国での利益性が求められる。

 しかし、Russia側の主張だと、「今回の計画では、
産出された物を全てVladivostokにて消費をする」との
主張を行っているとのこと。

Vladivostok(うらじおすとっく)で消費?

 さて、毎回のPattern(ぱたーん)から連想されるのが、
既に、その意見に対して、別の国際規模での良案が用意を
されている可能性がある。

( -ノω-)こっそり♪<つまり、注目を集める為にと故意に、奇妙な主張をしている可能性がある!

日本国としては・・・

 出資の観点から、日本国に対して、その割合分に纏わる
利益性の阻害と言う観点で、Russia国との断絶が予想等を
されます。

 しかしRussia側では、それに対して柔軟な応対をすると
想われます。

 この戦略は、民事法廷などでも使用をされますが、先に
過大な請求を相手に行っておいて、その後にて相応となる
金額の請求を裁判所の酌量にて、決めると言う戦略である。

 しかし、その戦略には、二つの矛盾がある。

1.弁護士、裁判所がだけが過剰な利益を得る

 御存知の人は、少ないのかと想われますが、民事の場合、
訴訟額は、その請求する額にて決まり、金額が大きければ
相応の訴訟費用を裁判所に払う必要がある。

 また、弁護士も、成功報酬や、訴訟の額などにおけると
言う分野での尺度として、依頼者の利益を最大限に守ると
言う行為は、自らの利益を確保するに値をする。

2.請求者(提訴者)の観点と、世間の観点

 裁判所は、法規と世間体とを用いて比較しつつ、原告の
請求(主張)とを照らして、更に事の事実内容を把握した
後にて、その請求における酌量を判断する。

 しかし、ここに一つの汚点がある。

 実は、請求者が世間的に見て10の請求が認められると
言うような請求事件でも、8の請求主張をしている場合は、
裁判所にて、8の割合(つまり請求額のみ認める)だけを
認めることを前提に審議され、残りの2について裁判所が
なんら酌量をもって、援護することが無い。

 つまり、之までの事件事情から見ると、過剰なほどにと
膨大な額で請求を行って裁判所が喜ぶだけで、結果的に、
その請求が『認められない、その請求に格段に満たない』
との場合であっても、訴訟額が軽減される事も無い。

 例えば、1000万円の請求に対して必要とされる訴訟
費用が生じても、結果的に『判決で、30万円だけ原告の
請求を認める』と言う場合に、訴訟費用が減額とならない。

・・・Σ(・ω・ノ)ノ っえ!

( -ノω-)こっそり♪<高額訴訟を弁護士に依頼した時に、相場事情を聞かない方が良いですよ♪

(∇〃) .。o(株式の市場における売買と同じく、起訴の責任は、原告自身に有りますから♪)

結論>

 つまり『大は、小を兼ねる。但し、最大限の利益を得る
と考えるならば、その範囲を過剰に定めて減額する方が、
効率的である』と言う戦略となる。

 よって相手の請求力が乏しいと、最大の利益を相手にと
持って行かれてしまう事になる。

・・・(。-`ω-) ん~♪

 これは、『GAMEの理論からの戦略思考』になるかと
想われます。

結論

 こうした駆け引きに対して、故意にと相手の主張を留め、
対話を終了させることで、CivilianControlが成立する事を
把握できる日本国の国民は、少ないのかと想われる。

 つまり対話には、相応の駆け引きが生じて同然であるが、
それを行わず故意に対話の進行を留めて、国民動向となる
CivilianControlに悪用している可能性がある。

 我々日本の国民は、憲法の前文にと記載をされている、
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から
免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認
する」との記載がある。

 つまり、『日露Energy・環境対話in新潟』においての
対話としては、まるで『対話』になっておらず、故意に
Russiaを国民規模で敵視する為に、対話の進行を留めた
可能性が有るのかと、個人的に判断をしている。

航空自衛隊の不祥事に習い

 彼らの行為は、国家規模での倫理性から不適切だったと
言われ、民からも非難される部分が有ったのかとも想われ、
適切な現代日本人としての行動であったとは、想えない。

 しかし彼らの活動から学びえた事は、CivilianControlで
あって、その部分に関しては、「われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を
有することを確認する」との趣旨に反した、教育やMass Media
などによる活動が過剰であり、『その真意を知られたい』と
受取っている。

 よって、その出来事から学び、私的には、Russiaの主張を
非難するよりも、彼らの行っている主張における戦略性は、
相応に評価をされるが、それに対する防御は、自衛隊に習い、
CivilianControl的に解釈すること無く、日本国の憲法に
照らして、相応なる判断を国民個々の規模で行うと言った
思考が求められているのかと、個人的に判断をしています。

 嘗ての226事件ですが、それらが過剰なる軍事教育と、
非望的なな現実、そして戦死する事への英雄視などにより
引起された事件であったのかと想われます。

 犬を飼えば、強くなるとの掛け合いから、話せば解るとの
解釈までも追求した人物も、その犠牲になっている。

 現代人としての解釈では、結論としての新たなる現代的
紛争の場となる、議会や訟廷において、相応の戦略などを
準備して、共存的なる結果を日本国民規模で追求をすると
言う志が必要なのかと想われます。

( -ノω-)こっそり♪<意外かもしれませんが、暴力団の方が愛国心が強いらしいですよ♪

(∇〃) .。o(あ、悪党もですかね♪)

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 万学では、この論述を、BarbarianControlと言う・・・w