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現状の日本国を、憲法の前文に例えるならば・・・

現状の日本国

 日本国の民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動していると言う訳でも無く、我らと、我らの子孫の為に、諸国民、及び全世界各国の民と協調する事により得られる世界的な平和への成果と、わが国全土にわたつて、自由のもたらす恵沢を確保するにも至っておらず、その努力も比較的に無い。また政府の越権的な行為によつて再び戦争の惨禍が起こることが無いよう決意した国民も少なく、主権が国民に存するのに、それを国民が放棄しているに等しい現状を、日本の国民、その一人として主張しつつ、憲法の前文を基礎とした評価を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであるが、その厳粛性に欠け、その権威が国民に由来している実体が無く、それで得た権力を国民の代表者と称しつつ越権して行使する事も多く、その悪行によって福利を全国民が等しく享受するとも限らない状態にある。これは、人類普遍の事実であり、この評価は、かかる現実に基くものである。私は、これに対する一切の違憲者及び、それを助長する者が排除される事を願い、求めており、相応な活動も行う。

 現状における日本国の民には、恒久の平和を念願して、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する事が不可能であつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に過信して、われらの安全と生存を保持することが行えないと評価した。そして、平和的な生活を維持して、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会など幻想的であり、それにおける名誉な地位を占めたいと思ふ利己主義者によって、大勢の人々が苦しんでいる。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれられない事を把握しており、平和のうちに生存する権利を有するとも言えない事を自覚する。

 われらは、いづれの国家も自国のことのみに専念して、世界195ヶ国における他国を無視いるのに等しく、政治的な道徳の法則は、普遍的なものであると言う論理的な幻想に捉われ、その法則に従ふ極一部の民が、自国の主権を維持する為にと国民の代表者として、まやかしの主張を行いつつ、他国と個人的な友好関係に立たうとする各国の代表者、主権者による『利権の争い』にと民が巻き込まれている。

 日本国の民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふと言う者は、極僅かであって、皇室の人員を含めても、全国民総数の割合からすれば居ないに等しい。

日本国 憲法 前文

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

結論

 日本国は、大自然の驚異から、それに対する愚かな耐え方をしても悲劇が止まず、悲劇を繰り返しても、宗教、政治の思想が、それへの学習を同胞の為にと阻害しつつ、奴隷(僕民、牧民)化している。

 真意での民主主義は、民の個々における人格と、それにおける他者との協調性が求められ、共同で地域の自治を形成しつつ、国家を形成する事が求められ、それらの共通点が各国の間で増えれば、共国家的な規模での同体を形成する事も可能であり、その和が広がる事で世界が平和的に展開するのであろうと、論理的に想える。

 ところが民族主義などを含め、やはり人体的な差別、思想的な差別が生じる事を妨げられる事が無く、特に、Christ(キリスト)教など、一神教で且つ、他の思想、宗教を除外しようとする者達や、それらが紛争と成るよう想い、活動をする者達によって、生じる悲劇は、古来からやむ事が無い。

 そもそも悲劇は、それの対処と成る者が初めから存在をしていなければ生じなかったのであり、俗に性悪説と言われるが、人類の文化において人の生産は、生命の維持や種の保存と言う本能からも、人に限らず、この地球上におけるあらゆる生き物が、同等の条件で生活を維持しており、人類に限って優位的である。

 また宇宙を見れば、他の惑星における苛酷な環境を踏まえ、それらに耐えうる肉体、補助装置なども求められるが、それを宇宙的な規模での自然が受け入れるのかも不明で有り、この地球上において飼われているかの如く、生存する事のみが許されている可能性も有る。

 高度な文明を向かえ、宇宙開拓も行える時代を迎えているが、人類規模で、それに参加できる人が極僅かであり、その反面で多くの人が途上国で、先進国で製造された武器を基に、軍事的な紛争などで苦しんでいたりする。

補足 人の誕生と、この世界

 ところで精子、卵子の関係を思い出して欲しく、一般的に一度に約三億もの精子が放出され、その中でも奇形が有り、且つ女性の膣、並びに子宮へと達するまでには、精子にとって困難な道のりと成っている。

 そして一つの卵子に対して受精できるのは、基本的に一匹の精子と言われるが、少数ながら複数の結合が有る事も科学的に指摘をされており、受精した卵子は、幕を張って他の精子を受け入れない。

 その後に、子宮内で受精した卵子が、遺伝子の結合を含めて細胞分裂を始めて、魚類的な脊椎動物を形成しつつ、胎児の形へと変化する。つまり現代科学における一般的な観点だと、「人は、子宮内で生物学上の数千万年の進化を行い、出産される」と言われている。

 それを想うと、この太陽系にある地球へと飛来した何だかの物質が結合して形成された歴史をも想像するのであり、飛来物により幕を張るような大気の発生から、それ以後に飛来する物が大気の摩擦で燃え尽きてしまう現象も、地球の自然に有る。

 つまり、世の中で類似することが物理的な観点からも多く、嘗て「名医は、政治をも治す」と言われる程に、「この世の物体関係が、色々と人体構造に似ている(人体は、小さな宇宙)」とも表現される程で、その自らの体に付いてを知らない人も多い。

 自らの体すらも理解できない人が、家庭、他人、自治、国、世界に付いてを知っても、単細胞の如く、自己利益の主管でしか展開できないのかと想われ、人体における複雑な多細胞を統括する発想が求められているのかと想われ、あらゆる細胞、そして病原どを含めて考える発想が、求められる。