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剣士なる者は、強者を求めつつも、殺人を求めず。

剣士の一人

 剣士は、剣を扱い敵(または、相手)を攻撃する武術の者であり、相手を殺傷する能力を有する。

 剣士に限らず、格闘技や武術などを含めて、対戦の相手を求める傾向に有り、それを経て強者と成る事を求める性格を有する者が居るのも事実である。

 その強者と成る過程において、相手を殺傷する事が生じる事も有るのかと想えるが、「強者に成る事への欲望と、敵や相手の殺傷する事を求める欲望とは、異なる」と判断でき、それらに付いては、個々の性格に委ねられる。

支配者の目的

 敵や相手の殺傷を求めるのか、強者を求めるのかと言う、剣士の個人的な心情の観点が有っても、支配者の意向に基づき、剣士の技能が敵や相手の殺傷を求められる事が有る。

 これに付いても、やはり剣士に限らず、あらゆる格闘技や武術で言える事であり、剣士の個人的な能力が、他の支配者によって活用され、それが必ずしも人道的な観点で用いられるとも限らない事は、人類史からでも解る通り。

 つまり、剣士(や、あらゆる格闘技、武術)の個人における能力は、その多くが支配者によって活用され、個人の意思と支配者の意思との融合的な観点で成り立つ事が多く、結果的に剣士も雇われの身で有るならば、それの関係における規律的な拘束が生じるのであり、必ずしも自由な状態を得られる事に至らない。

 支配者は、目的を達成する手段として、その資源(及び財源)となる人材の確保を行い、有事において、その人材の能力を発揮させるのであり、それが今時代だと必ずしも人材と限らず、精密な計算機を搭載された機械などを代用する事で、人為的な故意、過失などの事故を防ぎつつ、緻密に目的を達成する事を求める時代も迎えている。

公務員と武士

 もともと日本国の文化では、殿と武士で行政が形成されていた。

 江戸時代を経て、徐々に行政の人員が、必ずしも武器を所有する理由が文化的、及び政治的な観点から無くなり、行政人員に武力の必須性が時代と共に薄れたが、明治の時代から改めて全国民規模での武術的な戦闘の能力を求められ、軍国化と変貌するに至っている。

 後に第二次世界大戦後で敗戦国と成った日本国は、以後において軍事的な侵略の攻撃力を、憲法によって抑制され、それの関係から現状の日本国では、論理的に侵略を主とした軍事を有さない事に成っている。

 ところで剣道と真剣道は、異なる。

 近年では、公務員の観点も剣道的な観点が強い割りに、その裏側で関係者を真剣的に脅迫を行ったり、殺傷をするかの如くで展開する輩公務員も居るのが現状だと想える。

 時代を経ても、竹光を見せて権威を振舞う 輩が絶えない。

浪人(牢人:ろうにん)

 昔から色々な理由で、民の心情に亡国が生じ、日本国に限らず、世界中の民が彷徨っているのが現状である。

 僕の観点では、西洋思想に伴う 『 NEET( Not in Education, Employment or Training ) の存在は、政府にとって反社会主義的な存在と評価され、民による国家に対する天然的な Sabotage (サボタージュ)』とも、経済的な観点から想えつつ、それが過剰に排他(仲違い)される等によって、Anarchist(アナーキスト)や、自己や同胞の存在を主とする Terrorism(テロリズム)へと変貌するが、「それらの主原因が政治に有る事も解っており、その解消法に付いても現代の科学から解っていながら、民の個々へと明確にせず、(近代、新興)宗教を介した奴隷化の為にと悪用されているのが現状である」とも、僕の独学における経済学の観点から判断している。

 つまり、浪人を集めて異質的な集団として形成させ、反面教師(中国共産党の中央委員会主席だった毛沢東が発案した言葉とされ、『真似したくない』と思わせる教育方: Mind Control )な環境を作る、政治や思想、宗教的な争いによる工作(異国的な工作を含む)によって、大規模に世直しを目論む輩が居るのかとも疑える。

 事例的に世間一般で知られているのは、西洋思想におけるProtestant(プロテスタント)だが、仏教系(に限らないが)だと分派した宗派の対立が暴力的に発展する事も有り、結果的に『 倫理の飽和 』が生じる事も解っている。

 ちなみに、この『 正義の飽和 』だが、実は、Computer(コンピューター:電算機)でも生じる現象で、俗に Overflow(オーバーフロー)と呼ばれ、それによる修理の作業や、もともと便利に計算させていた状況から、昔のように人為的な作業で代替作業をする状況に陥るので、『 時代的な退化の主原因 』と成るのかとも判断している。

 この説で、このような説明をする必要性は、「浪人が陥り易い心境と、それに基づく過剰と成る反社会的な行動を理解した欲しい」が故の想いからである。

 本邦にとって、浪人は、Diagram(ダイヤ)の原石に等しいが、それの加工(育て方)によって武器にも成るが、もともと浪人である当人の倫理性が強ければ、自らを磨く事が可能であり、それによる自立した志でいれば、他人(支配者)にと過剰に依存しない(馬鹿と成らずに済む)人生を歩めるのかとも想える。

万学 白狼の伝