文部科学省 gacco 戦争倫理学の講義

  • 頁名: 日誌/進捗/平成29年度
  • 投稿者: 万屋
  • 優先順位: 重要
  • 状態: 完了、終了
  • 種別: 自由な研究/鑑査
  • 投稿日: 2017-03-30 (木) 20:11:11
  • 段階、参照:

趣旨

 gacco の授業で、 戦争倫理学が有るが、その内容が、「本邦の民にとっては、違憲的な思想への誘導を目論んでいる」と想われるので、報告の検討を行う。

関する、課題

問題点

 課題の内容が、『(甲)誘導的であって、(乙)民の自由な思想、発想を制限され、(丙)誤解を誘発する危険性が有る』と判断するに至っている。

最悪な部分
 本件の講座は、民の志を違憲に操作する目的で作成されていると判断するに至っている。つまり論述の展開は、「あたかも自分(受講者の自身:己)が、特定(予め、受講の終了後に受講生が抱くであろう想い)の答えを導き、それを他者へと伝える方法で、源の責任すらも隠蔽する方法」で構成されており、近年だと一般的に宗教の集団などによる、『志の操作(Mind Control:マインロコントロール)』で使われる方法と判断するに至っている。

 受講生の個々における内面に、心情的葛藤な場面を作り、それによって熱くなった心情を、叩くように洗脳する内容(「鉄は、熱い内に打て」)に成っていると判断するに至っている。

 つまり、この講義における洗脳術は、PC の Virus の如く、受講生が何を想おうが、受講後に、「講義の沿った内容を他人へと伝える(洗脳されつつ、更に第三者までもを洗脳する目的で構成されている)」ことが解る。

 近年だと、『早ければ中学生程度でも危険を感じる文面』かと想われつつ、嘗て『オウム真理教などでも用いられた論述』と認識するに至っている。

鉄は、熱い内に打て
英語だと「 Strike while the iron is hot.」であり、軍人の志が、熱い時に(冷める前に)打って』と等しい。

:この教授は、本邦の歴史(文化)的観点からの解説が一切に無い| 全てが西洋の思想(Christianity)を基礎に、その宣伝を行っており、日本の文化を無視する形式で、刷り込みを展開を行っている。

道徳
 道徳と言う言葉は、なぜか特定の思想(宗教)を有する人に、嫌がられている傾向にあり、義務教育課程で授業の科目と言う観点でも、それを嫌がる思想が有る。
カタカナ英語
 異常に英語らしき(発音が変に感じられる)単語や、色々な単語が出てくるが、日本語で説明が行えてない。(もともと、日本人に解るように説明する気が無く、『自分に理解の有る人だけを囲いつつ、発展させる』との傾向に有る。中央大学などに見られる特徴(典型)的な傾向でも有る。

戦争倫理学を学ぶに当たって 平成29(皇紀 2677;2017)年03月30日

  1. 定義が、誘導的(特定の心情を抱く)
    1. 「正しい」戦争という考えは、正当化ではなく批判的視座に立脚する、ということを確認しておきましょう。
      1. 不条理な課題を定義させ、自爆的に自らの思想を混沌とさせる誘導が有る。
      2. 結果的に、受講生が何を想っても、次の過程で「講師が説明する内容が正しい」と導かれる。
    2. 戦争における殺害の主体・客体、つまり「誰が誰を殺すことを許容するのか?」ということも踏まえておきましょう。
      1. 「人が人を殺す」との表現を行っておらず、故意に「誰が、誰を」と表現され、その誰が一般的に不特定と想えるが、「誰かが、誰かを殺す」と言う、『特定の者(誰)が、特定者(誰)を殺す』と言う定義に成っており、「多くが自分に置き換えるだろう」事が想定されていると想われる。
    3. 『「誰が判断し、誰にとって正しいのか?」ということも抑えておきましょう。』
      1. 『誰が判断し、誰にとって正しいのか?』でわなく、「受講生が判断して、受講生にとって正しいのか」の心理的を抱かせる誘導と想えるが、それも、受講によって洗脳されるのかと想える。
    4. 『まず1つ目は戦争倫理学を学ぶ目的について説明することができる。』
      1. 講師が、受講生に説明を行うのであって、受講者が他者に説明をする理由が無い。
      2. 受講後に受講者が、他人に対にて「戦争倫理を語り、宗教の如く布教させる事」を想定されている可能性を疑う。
    5. 『戦争において、「誰が殺害を許容するのか?」と、「誰を殺害することが許容されるのか?」「またはされ得ないのか?」 という問いに対して、講義内容に沿った説明を行うことができる。』
      1. 本坊が第二次世界大戦中において、天皇を中心に展開を行った部分を、間接(誘導)的に、心境を操作される。
      2. この時点で、講師が Christianity(キリスト教:神道は、異教徒の崇拝に該当する)系か西洋的思想(仏教徒であっても、Freemasonに入会しているならば、西洋的思想に分類する) の人材である可能性が疑える。
    6. 『「誰がその戦争を「正しい」と判断するのか?」、そして「「誰にとって」その戦争が「正しい、あるいは正しくない」のか」という問いに対して、講義内容に沿った説明を行うことができる。』
      1. 表見的に、「自由な答えが期待されているように文法だが、それらの発想は、受講後に無くなっており、講師が定義した内容に変わると想われる。
      2. つまり、問いに対して誰が何を想おうが、結果的に『講義内容に沿った説明を行うことができる』ように洗脳される。
    7. 『戦争倫理学の営みがどのようなものであるかを講義内容に沿って説明できる。』
      1. 普通、学びにおいて『講義内容に沿って説明できる。』との能力を必要とされてない。
    8. 『まず1つ目は戦争倫理を学ぶための3つのことについて確認』をしましょう。
      1. 自己的暗示(自己的洗脳)の開始。
    9. 『そして、その後に戦争倫理学の営みというのがどのようなものであるか、これを考えていきたいと思います。』
      1. 僕が、他の事例などで把握している洗脳術では、『これを考えていきたいと思います。』との部分では、本来だと受講生が考える部分ですが、前出の定義から、受講生が何を考えていても、結果的に講師が説明する内容を他人に説明するように成る。

1-2.議論を進めるための確認事項 平成29(皇紀 2677;2017)年03月30日

  1. 個別的かつ具体的な事柄について批判的に検討すること、これが重要な点です。
    1. 『批判的に検討すること』は、重油視されない。
      1. 今時代だと「戦争は、国家間での紛争」と解せるが、現在だと国連で戦争を認めてないので、『紛争、及び正当的防衛』が認められるに限られている。
  2. そして「正しい」戦争とは、歴史的に起こる戦争全体、または戦争そのもの、ないし戦争一般についての道徳評価をしているのではありません。
    1. 受講生は、この部分に至るまでに、既に『道徳的評価』を心理的に行ってる状況にあり、それを否定している。
      1. 受講生の個々が抱いた『道徳的評価』を、打ち消している。
  3. 何らかの限定をすること無しに「戦争は正しい」と主張することは、思い込みや妄想、もしくは妄信や無反省なイデオロギーにとらわれており、まったくナンセンスです。
    1. 受講生が抱いた『道徳的評価』を否定しておきながら、『何らかの限定をすること無しに「戦争は正しい」と主張すること』だけに限定して、『思い込みや妄想、もしくは妄信や無反省なイデオロギーにとらわれており、まったくナンセンスです。』と、自由な発想に対して、攻撃を行っている。
      1. 実は、「軍事の戦略でも同じ方法で攻撃が行われる事も有る」が、つまり、「受講生が抱いた戦争を肯定する観点は、「(甲)思い込みや妄想、(乙)もしくは妄信や無反省なイデオロギーにとらわれており、(丙)まったくナンセンスです」と綴っているが、一般的に「馬鹿で、阿呆で、無能」を表現しているに過ぎず、「戦いにおける典型(本能的で、一般人が抱く発想;本件の講師が主張をするのは、それを高度に行っているだけで、例えるなら、「空気銃の性能を高めて、殺傷力を強めるかの如くの改造を行った」と言うのと等しい話術)的な攻撃の状況」で、一般人に解析が行い難いのかと想われる。
      2. ちなみに、洗脳を試みる人は、「徹底的に他者の思想を否定する傾向が有る」事も解っているが、僕の研究だと、その対抗に『逆洗脳も可能である事が解っており、これまで既に実験的にと各種公務員を『憲法と法律』に基づく志の操作を行っており、その効果も高い事が解っており、本件の課題が、それにも該当する。
  4. そして「正しい」戦争が道徳評価の対象とするのは国家や他の政治共同体が為す個々の戦争やその中で行われる戦闘であり、それらの戦争や戦闘行為について批判的に検討することが「正しい戦争」ということを考える狙いです。
    1. 『戦争や戦闘行為について批判的に検討することが「正しい戦争」ということを考える狙いです。』
      1. 「作戦(目論見)です。」と置き換えると、本文の意味が解る。
  5. 過去の戦争を分析し、そこから学んだ知見を援用して、今起こっている戦争や起こりつつある戦争、またこれから起こるかもしれない戦争について批判的に検討することができます。
    1. 『批判的に検討することができます。』
      1. 「戦争の肯定者を、改心させる事ができます。」に置き換えられる。
  6. 『平時において殺人は悪いこととされるのに、戦争において人を殺害することはどういう基準で許容されるのでしょうか?』
    1. 本邦(日本国)では、『正当的行為、(刑法・第三十五条)正当的防衛(刑法・第三十六条)、緊急的避難(刑法・第三十七条)』が認められているので、「平時において殺人は悪いこと」と刷り込んでいる事が解る。
      1. つまり本邦では、刑法が基準と成っており、それ以上の規制が無く、『自殺人が悪い』とかの観点でなく、「自殺人の行為は、裁判により刑事で裁かれる理由に成り、刑法に基づく処罰(罪)を受ける事も有るが、正当防衛などが認められる場合には、その罪(処罰)を免れる」とされ、殺人の行為に関しては、全て刑法で裁かれるのであり、それ(殺人)が『良いのか悪いのか』で裁判に成るのでわなく、「全ての殺人(事件)における加害者の責任は、裁判で処理される」が本邦の倫理であるが、それを歪めており、これも Christianityや、近年の(似非)民主主義者による主張などに見られる。
      2. 事例として、仮に「警察官が、拳銃を所有する殺人(容疑者でわなく現行)犯を発見(殺人の現場を目撃)。犯人が逃走を図ろうと試みたので、拳銃で実弾の発砲を行った。ところが、警官が発砲を行った銃弾が、他の一般人に被弾。警察官の責任を問え(どこかの大学で、報告書の題材に成りそうな内容)」では、『(あ)警察官が発砲を行った事の正当性が審査され、(い)次いで、その後(警察官の判断による発砲後)に、『他の一般人に被弾』する結果の責任』が倫理的に審議されるのが、本邦の仕組みであり、自衛隊も同じであると、現状だと日本国の民、その一人として認識するに至っている。(誤認の可能性も有るので、各自で確認を行われたい)
  7. 『まず1つ目の論点として、「誰が殺害を許容するのか」という主体についての問題があります。』
    1. 本邦では、前出のように軍事(自衛の行為)においても刑法で正当性が問われる。
      1. 一斉に大規模で多発する状態でわない限り(戦後に事例が無い:軍事的に先攻される等の大規模な殺傷が行われない限り:事態の収集が可能な限り)、個々の事件で責任が問われる。(現状の僕的に確信が無いので、別件で調査を行う:日誌/進捗/平成29年度/61
  8. 『平時において人を殺すことが法的・道徳的に悪いと定めるのは国家であり、またその国家の法やそのような道徳価値を受け入れる個人というのがあります。』
    1. 違う。
      1. 本邦の憲法に照らすと、「『平時において人を殺すと、法的・道徳的に悪いとに定めるのは、国民から選出を受けた国会議員(代表者)により構成された国会にて定められた法(国民は、その立法に付いて等しく責任を負う:民主主義の概念)が適用され、また、その国家の法やそのような道徳価値を受け入れる個人というのがあります。それを国民の少数的個々で、受け入れられない思いがあっても、強制的に従わせる効力を有する』のが日本国です」が適切と想われ、他国に付いても、各国で行為が類似的でも、文化感の違いから、表現が異なる事も有る。
  9. 『同じように、もし戦争が起こった場合、敵国の戦闘員を殺害することは、それが国際法や国内法に則っている限りにおいて、国家によって罪に問われたり道徳的に非難されたりすることはありません。』
    1. 不実。
      1. 実際には、宗教などによって大いに非難されている。
      2. Youtubuでも元軍人(自身)が、非難するにも至っている。
  10. 『平時において何も悪いことをしていない人を勝手に殺すことは法的・道徳的には悪いことです。』
    1. 本邦では、善悪が問われているのでわなく、「殺人の容疑者(被疑者)は、刑事の裁判で処分する」のであって、仮に''殺人の行為者が、該当刑事裁判に出廷する事が、何だかの理由(犯行者の特定が行えない、逃走中)で行えない場合、実質的に刑罰を課する事が、憲法(第三十一条)からも行えない。
      1. つまり、「何も悪いことをしていない人を勝手に殺すことは法的・道徳的には悪いことです。」と、志を操作する試みが見られる。
  11. 『しかし、死刑制度を刑罰として採用している国家が法執行として死刑を行うことは少なくとも法的には許容されている場合があります。』
    1. この課題も、本邦の似非民主主義者や、Christianity(Freemasonによる自治性の低下を試みる戦略との疑いも有る:Freemasonは、自分達の存在を否定されると、敵の敵を支援する*1傾向に有る)が課題とする内容で、基本的に死刑を否定する傾向にある。
      1. ところが現実では、『(あ)夫婦(恋人)間、友人などでも殺人が生じており、(い)報復的な自殺人も生じているのが現実』で、外にも暴力団( Gang )等による掟に背いた罰で私刑的に殺害される者が、死刑の執行数よりも多いと想われる自治(国など)も有る』と想われる。
  12. 『戦争、または武力紛争という言葉も使います、武力紛争の時に適用される国際法である国際人道法(戦時国際法)のジュネーブ諸条約は、直接の敵対行為に参加している者とそうではない者を区別し、戦闘において前者を殺害することは許容されますが、後者を殺害することは許容されないと定めています。』
    1. 『戦争』と、『武力紛争』は、まったく異なる紛争。
      1. 戦争は、戦争の宣言が、双方の国で行われ、国家間に限られる。(留意:本邦の場合、朝鮮半島の北側を領土と主張する『朝鮮民主主義人民共和国』を自称する自治を、国家と本邦が認めてないので、軍事的紛争に至っても戦争に該当すると認めない可能性がある。:つまり違憲に成らないと判断される可能性が懸念される)
      2. 武力紛争は、武力による紛争で、宣言などが無く、Gang(ギャング:暴力団など)の紛争も含まれる。
    2. 『戦闘において前者を殺害することは許容されますが、後者を殺害することは許容されないと定めています。』
      1. 実際の戦争では、「同胞に殺傷されたり、民間人が殺害される事は、極普通に生じる」のであり、論理(倫理:理想)性が問われても、現象を防げない。
      2. 僕が把握している限りでは、戦争や軍事紛争の被害者には、常に民間人(非戦闘員)が 含まれており、民間人が犠牲に成ってない(民間人が、戦闘員として戦地へと強制的に出兵させられる事を含む)戦争は、人類史からも確認する事が行えない。
      3. ちなみに国際法は、『正義の殺人』と人に認識させて、殺人を正当化する為に設置されている事を、明言するに至っているに過ぎないが、そう一般の人が理化するような説明に成ってない。
    3. 『つまり、道徳的に許容されるか否かはさしあたり措いておくとしても、戦闘員を殺害することは法的に許容される場合があるということです。』
      1. 本邦では、(軍事)戦闘員に限らず、相手を特定する法規にて殺傷を認めている訳でなく、状況に応じて正当性、正当的防衛、緊急的避難の限り、刑罰を免れるのであり、殺人の善悪を問う思想を有する事をまでもを、民に求めてない。
  13. 『それが道徳的観点から見ても許容されるかどうかについては後に検討していきたいと思います。』
    1. 前出の通り、本邦だと憲法や法律で定めが有るにも関わらず、それを(北海道大学の教授でありながら)明確にせず、道徳的観点へと誘導を行う事で、誰もが否定的な心境に陥るであろう事が試みられている。
  14. 『判断する主体、つまり「誰が判断し、誰にとって正しいのか?」という問題があります。』
    1. 本邦(日本国)は、嘗て天皇を主体に戦争を勃発させた経緯に付いては、広く一般の国民に知られている。
      1. Christianityにとって、日本国の民が、自らの意思で神道を否定する行為は、最大の成果(ちなみに、利益に成らない:牧民化への洗脳における度合いを測る目安に成る。)と成る。
      2. なお、現状における皇室の各陛下や各王が Christianity を信仰する状況に陥った場合、その愚かさは、 Christianity にとって「 Gag 漫画などで、爆笑する程の事」で、僕の経世済民学で言う「服を着せられた王さま(『裸の王さま』と逆に、社会的に高度な地位を与えられるが、その規則が厳重で、操り人形化される事( Mind も Control されたり、心に何だかを想っても、国民に良く理解されない等)を意味する)」と呼んでいる。
  15. 『この問いについては後に詳しく考えていきたいと思いますが、「誰が」という判断する主体は「私たち」です。』
    1. 「私たち」と定義して、「私達が、考える。」だけに留まらず、その考えに基づいて志を操作された者が、愚かにも行動するだろう事が想定されている文面に成っている。
      1. 普通、どこの大学でも、「行動を行う危険性から、このような展開の時には、『考える』事が重要で、行動を行うと罪に問われる危険性が有るので、考えるだけに留めて欲しい」と注意されるのが普通。
  16. 『お互いを尊重し合う関係にある「私たち」こそが、特定の戦争や戦闘を正しい・正しくないと判断する主体なのです。』
    1. つまり、結果的に戦争を評価するのは、「私達だ」と誘導を行い、挙句の果てに「正しい・正しくないと判断する主体」とまで決めている。
      1. 実際に戦争や紛争、殴り合いの決闘を含め、紛争の当事者と異なる観客的な観点で、心境を抱かせつつ、観客側の心理として、ここまでの展開から、誰もが「戦争は、正しくない」を選ぶ状況にある展開で、故意に「正しい・正しくない」と問わせ、どちらか一方を選ばせるように誘導されている。
  17. 『そして「誰にとって」という客体は、実は、誰であってもよいということが言えます。』
    1. いつの間にか、「戦争(国家間で行われる)が、個人の評価だと、どう想われるか」が、問われている。
      1. 前出によって、一つの洗脳の課題が明確に成ったので、国とか、大衆とか、どうでもよく成っており、それ(どうでもよくなった事)を明確に示さないと、矛盾が受講者の思想内に残り、洗脳に失敗する。
      2. つまり、受講生が疑問を抱くと、洗脳( Mind Control )に成らない。
      3. 逆に、疑問を抱かない人は、洗脳される(講師の主張が鵜呑みと成って、更に他者を洗脳する)可能性が高い。
  18. 『というのは、お互いに自由や権利を認め合うことが正しいことだとするならば、他者の自由や権利を剥奪し蹂躙するような他国への侵略を目的とした戦争は、侵略される側の国家やそこに暮らす人々は言うに及ばず、侵略する側の国家やそこに暮らす人々にとっても正しいとは言えません。』
    1. 北方領土を前提に、受講生が想像するだろう事を目論んだ文節と想える。
      1. 露西亜との外交が進んでいるが、それをFreemason、その配下と成るChristianity(実質的に、Christianityと認め難い)や、西洋諸国的に認めが無い状態にあって、その理由に貿易の利益性が減る事が懸念されている。
      2. ちなみに、『十字軍の事例を挙げていた』ならば、中立的な観点から、何だかを疑うに至ってない。
  19. 『さらに、その当事者ではない国家やそこに暮らす「私たち」にとっても、そのような侵略は正しいとは言えないでしょう。』
    1. 明らかに、北方領土を意識した内容と想える。
      1. 実は、北海道の地域に侵食を行ったFreemasonは、その基礎にChristianityを展開している事が解っており、嘗ての台湾協会学校(後の拓殖大学:僕の観点だと、Freemasonの戦略的学校:ちなみに大袈裟に険悪な表現をするのも、どうかと想うが、Freemason、Christianityが、優位、正義と成る為の開拓学校)を基に展開を行ったと判断するに至っている。

対談型

 各宗教の教育的映像でも見られる質疑、応答の展開が見られ、「それを見た人が何を想う(思う)か」が誘導的に成っている。

結論

 「(A)戦争を、どう楽しむか、(B)及び戦争に陥ったら、何を主要する事(己が有する国際的な権利を主張する事)で有利に成るか」を、論じている思想に過ぎない。

 また、白、黒のように分かれて議論を展開する事で、人の観点が大枠で、二つに誘導されるが、Christianity の Catholic と Protestantの展開と同じ。

Brainstorming
 実際だと、参加者全員が最低でも一つ以上の定義(視野)の設定を行い、それが『良い、悪い』でわなく、『定義を行った観点(視野)から意見を試みる』との展開が普通で、他人の意見に便乗を行ったり、逆に自分の意見を放棄する事も行えつつ、その放棄された定義を他人が拾う事も可能。

疑問点

 僕が、Freemason、Christianity を批判する文面に成っているが、それも誘導的に想える。

 つまり、『僕などが、Freemason、Christianity を批判する事が想定された内容』とも想える。

結果

終了

  • 平成30(皇紀 2678;2018)年07月18日

理由

 憲法や法律の定めは、国民の各々が守べく事で、大学も国家の公認によって設置されており、『(a)学校、(b)教授、(c)授業の内容、(d)関連する何だかの講義や学習会』に付いて、違憲、不法な内容が含まれていても、それの「母体(大学や国家)が、黙認を行っているのだから、僕が何だかの行動を行っても、無利(無理と異なる:利益が無い)」と判断。

 よって、国家側への報告(通報)を、断念する。

関する、法規、機関、等

日本国 憲法(電子的政府

昭和二十一年十一月三日憲法

第九条

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

二項
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第三十一条

 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

刑法(電子的政府

改正
 平成二八年六月三日 法律 第五四号

第七章 犯罪の不成立及び刑の減免

第三十五条(正当行為)

 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

第三十六条(正当防衛)

 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

二項
 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

第三十七条(緊急避難)

 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

二項
 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

第三十八条(故意)

 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

二項
 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
三項
 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

第三十九条(心神喪失及び心神耗弱)

 心神喪失者の行為は、罰しない。

二項
 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

第四十条  削除

第四十一条(責任年齢)

 十四歳に満たない者の行為は、罰しない。

第四十二条(自首等)

 罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。

二項
 告訴がなければ公訴を提起することができない罪について、告訴をすることができる者に対して自己の犯罪事実を告げ、その措置にゆだねたときも、前項と同様とする。

国際連合 憲章

外務省(公式 Web SiteWikipedia

  • > 外務省について > 組織案内・所在地 > 国際法局

*1 基本的戦略の対処:典型的な対処法

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Last-modified: 2020-10-07 (水) 01:13:04 (113d)